ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

和顔愛語(わげんあいご)

お念仏を称え合掌礼拝する姿とお念仏の声が和顔愛語

信仰に生き 信仰に死す

今日の一日を誠実に生きること。 自らの分を尽くすこと。

内心に潜(ひそ)む毒

お互いに憎しみあい傷つけあっている。それが人間社会のありようならばこんなに悲しいことはありません。

話し合い法座

御同朋(おんどうぼう)の普遍的な人間関係がいまの世のなかに一番必要なものではないだろうか・・・

『親鸞-生涯と名宝』特別展を見て

教行信証の坂東本(大谷派 国宝)・高田本(重文)・西本願寺本(重文) この教行信証三本が 同時に展示されることは今までにはありませんでした

吉崎を訪ねて その2

歴史ある本堂のなかで静かに手を合わせるほうが 心が落ち着きます

吉崎を訪ねて その1

人間の思慮分別を超えた、網の目のように深く重なりあう背景を、経糸(たていと)で紡いできたのが、お念仏なのかもしれません。

お念仏の暮らし

梵鐘の銘文は 南無阿弥陀仏

お仏壇

お仏壇には毎日お参りします。嬉しいときも悲しいときも。

啓蟄(けいちつ)のころ

身近に生きる小さな仲間を大切にする。いのちの共感、そこからいのちの共育が始まるような気がします。

親鸞さま生誕の場所

今年は生誕850年になります

流罪の旅 方上荘(かたかみのしょう)

年貢を納めるのに精一杯で日々の暮らしに追われている庶民にとって、お念仏を称えて平等に救われる教えは驚きだったことでしょう。

知恵(ちえ)と智慧(ちえ)

人間の理性分別(りせいふんべつ)・思慮分別(しりょふんべつ)には限界があります。 仏教ではこの分別心が苦しみの根本であるとしています。

親鸞さまご往生の場所

本願寺派では太陽暦(新暦)のご命日にあわせて御正忌報恩講を勤めています。

仏花から聞こえてくる阿弥陀さまの願い

どのいのちも大切ないのちなんだよ

ただ念仏のみぞまこと

ヤマシロギク ヤマシロギクだろうと思います 境内に一輪だけで咲いています この花のシンプルな美しさが とても気に入っています 言葉で表現することは難しいのですが 『歎異抄』を連想しています 余分な修飾語を全部そぎ落としたあとに残る 省略の美とも言…

夕日の荘厳(しょうごん)

心の内には 人生の闇を照らす 灯火(ともしび)が 確かに灯っています

倶会一処(くえいっしょ)の世界  

阿弥陀さまの願いに遇うことが、本当の人との出遇(であ)いだといえるのではないでしょうか。

花の聲(こえ)を聞く

晴れの日も雨の日も嵐の時も、散る瞬間まで精一杯生きなさいと呼びかけているようでした。

いのちの原風景

家族の情愛や時間の隔てを超えて 遠く深く広がるいのちのつながりがあるように思えるのです

大悲(だいひ)の親

臨終の善悪はまったく問題とはなりません

後(うし)ろ姿

人は、 自ら教えられたという人の言葉に、 教わっていくものである。

ブログの構成について

今後ともどうぞ気長にお付き合いください

いのちの融(と)けあう世界

お互いの見解が異なっても 相手を認めあい 尊重することが大切です

私たちは仏(ほとけ)の子

生きる価値のない人はいません 生まれる価値のない人はいません あなたは大切な人です 私たちは仏の子です

見えていないもの

見ているつもりでも見えていないもの、聞いているつもりでも聞こえていないことがたくさんあります。

人生は聞法の道場

人生の苦悩が機縁となり自分自身のあるべき姿を見つめていく道場となる、それがお念仏の功徳(くどく)かもしれません。

心を潤(うるお)す法(ほう)の雨(あめ)

静かに仏法を聞けば、ほどよい雨が草木を潤すように、仏法の雨が心を潤して、しなやかさと活力を与えてくださいます。

人間 人と人の「間」にあるもの

普遍的な人間関係

ご本尊

ご本尊 阿弥陀如来 ご本尊 阿弥陀如来いのちあるものすべてを、一人も見捨てることなく、分け隔てすることもなく平等に救いたいという、阿弥陀さまの大悲心は私たちの称えるお念仏の声となり、分け隔てなく平等に伝わっています。「大悲弘(ひろ)くあまねく…