ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

いのちの原風景

本堂と日日草


いのちの原風景

私たちは心の奥深くに、原風景(げんふうけい)というものがあるように思います。私にも懐かしい原風景がたくさんあります。
野山を駆けて遊んだ学童期の楽しい思い出、
母親の手料理・・・。
言葉では説明のできない大切なものばかりです。


火薬の爆発
しかし、それは楽しい思い出ばかりではありません。1965(昭和40)年7月22日のことです。小学校6年生の私は楽しい夏休みを過ごすはずでした。

オモチャの鉄砲で使う巻玉(まきだま)の火薬をほぐして、小さな薬の空きビンに詰めようとしていたその時、火薬が爆発してガラスの破片が腹部や腕に突き刺さったのです。

痛さで実感するいのち
そして眼にも破片が入り左眼の視力を失いました。脳裏に焼き付いた一瞬です。いのちというのは痛さで痛烈に実感できるものでした。誰もが傷つけられたら痛いいのちを生きています。

父のノート
父がノートに記した当時の記録が残っています。そのノートは紙ひもでくくられ、長くタンスの奥にしまわれていました。ノートの存在は知っていましたが、つらい思い出でもあり、読む気持ちにならなかったのです。

その父は16年間の病床生活の後、平成6年に往生し、母も平成11年に往生しました。ようやく見ようと思ったのは13年ほど前のことです。

生きることの悲しさ
けがをして20日余りのことが細かく書かれており、

「悲嘆苦悩(ひたんくのう)(ねむ)る能(あた)はず!!」
(父自身が)悲しみや苦しみが強く、まったく眠ることができない!!)
「淳
苦痛激しく みるに耐えず」
「淳 のこと思いつづける」
など、自分の思いを綴(つづ)る言葉が並んでいます。親の温かさも実感できるものでした。随分と心配をかけたものです。

その大学ノートの背表紙に次のような詩が書かれていました。

あけに染って(朝明けのひざしのなかで)
立すくむ(ぼうぜんと立ちすくんでいる) 
息子の左眼から 鮮血
(せんけつ)二すじ 
縷々
(るる・細く長く途切れることがないこと)と流れ
「お母さん眼が見えない」
小さく訴えるその声を
(私の母)は 繰返(くりかえ)し繰返し
思い出しては泣く。

ああ淳(私)よ お前の苦しみは、
幼いお前には早すぎた。
私にだって 何も見えていないのだ。
私にたえず見えていたのは、
正(まさ)しく 生きることの悲しさ。

淳よ お父さんだけは、
いつも・いつも お前のそばにいる。 
お前の悲しい心の中にいる。

 
代わることのできないいのち
人に見せるための詩ではありません。自身の苦悩を記したのでしょう。 
この詩を何度も読み返しながら思います。父は私が生まれるまで、人に言えない苦労をして生きてきました。その生きることの悲しさを、私に重ねて見ていたのかもしれません。
大切な人がつらい思いをしているのに、代わることができないのは苦しいことです。自身の苦しみより、もっとつらい思いだったでしょう。
 
優劣のものさし
私も最初は自分の身体的痛みを感じていましたが、その後は不安やコンプレックスによる精神的痛みに変わってきました。スポーツ競技、その中でも距離感をとりにくい球技が苦手になり長い間悩みました。自分のことで精一杯だったのです。

人間の弱さ・悲しさ
また、優劣のものさしで、自分だけではなく人も傷つけていました。そして、今は父と同じように、身の周りの大切な人を救えない悲しさも感じるのです。

どんなに愛(いと)おしく思っても、思い通りに人を救うことはできません。人に正しいことを教える力も、人を救う力もなかったのです。人間の本質的な弱さを感じます。

人間の愚かさ
無明(むみょう・智慧のない愚かさ)の闇に潜むのは、すべてのものごとを自分中心に分別をして、自分にとって都合の良いものに執着(しゅうじゃく)して、都合の悪いものを排除しようとする自是他非(※じぜたひ)の「ものさし」でした。

まことに愚かな自分自身の姿です。
※自是他非:自分を是(よし)とし他人を非(あし)とすること。

深い心の闇
阿弥陀さまの智慧の光に遇(あ)ったとき
「光に照らされることによって、心の闇の深さがわかる」
という言葉が思い浮かびました。
光に照らされるというのは、闇がなくなることではありません。光に照らされることにより、はじめて深い闇であったことに気づかされるれることです。闇しか知らない者に闇は見えません。

智慧の眼
視力を失って、肉眼(にくがん)では見えない無明の闇を見る、智眼(ちげん・智慧の眼)があることに気づきました。

慈悲(じひ) 悲は呻(うめ)き声
そんな私たちの言葉にならない呻(うめ)き声を聞き、必ず救うと呼び続けてくださる仏様が阿弥陀如来です。慈悲の「悲」の原語「カルナー」は痛む・悲しむという意味ですが、その原意(げんい)は呻(うめ)きです。

その大きな慈悲の心に包まれるとき、自他の悲しみや弱さを受けとめることができます。

大悲心(だいひしん)に学ぶ
悩み・悲しみに寄り添い共感するとは、阿弥陀如来の大悲心に学び、周りの人の心にある私と同じ悲しみや弱さに気づき、共に生きることでしょう。

あなたの中にいる私。私の中にいるあなた。同じ悲しみを背負って生きている私たち。一人で生きていたのではなかったのです。寄り添う人と寄り添われる人の、二種類の人がいるわけではありません。共に支えあって生きています。

痛さの実感と 温かいつながり
いのちの原風景を振り返ったとき見えてきたのは、痛さの実感と、支えあういのちの温かいつながりです。先立って往生した、家族を思う気持ちは変わりません。しかし、父母や兄の年回法要を終えた現在、新たな思いもあります。

開かれた「いのち」の世界
家族の情愛や時間の隔てを超えて、遠く深く広がる、いのちのつながりが、あるように思えるのです。

今、この私を支えている多くの父母・兄弟姉妹が確かにいます。

連続無窮(れんぞくむぐう)のつながり
歎異抄』には「一切(いっさい)の有情(うじょう)はみなもつて世々生々(せせしょうじょう)の父母(ぶも)・兄弟なり」と書かれていますが、生きるものはすべて、阿弥陀如来智慧に照らされ、慈悲に包まれた窮(きわ)まることのない、いのちの連なりです。私は仏教の根幹である縁起(えんぎ)に通じる世界だと味わっています。

自分中心の閉ざされた世界から解放され、いのちあるものすべてに開かれた世界に生まれる。その願いの中にあなたも私も生きています。

前住職(父)のノート

投稿   2022.04.09

加筆訂正 2022.09.02

【あとがき】
父の大学ノートには、私が怪我をして入院したときの状況が詳細に記載してあります。8月2日には「午後2時5分手術室に入り午後7時15分病室へ帰る。長時間の手術なり。ガラス破片数片を除いて摘出」と記載してありました。

当時の医療技術では細かいガラス破片の摘出には10日あまりかかりました。
今でも手のひらには数十針縫ったあとが残っています。

京都大学付属病院で診察してもらったとき、病院を紹介してくださったのは龍谷大学教授・石田充之先生でした。

学佛大悲心(阿弥陀仏の大悲心に学ぶ)ということは、知識を増やし記憶することではありません。大悲心のはたらきで、自分自身の生き方が人の痛みに共感できるような生き方に自ずと変化していくことだろうと思います。変化しないということは学んでいないことになります。

この稿はプログ法話「光に遇(あ)う」と重複しています。そちらもご覧下さい。 
                           

浄土和讃  浄土真宗聖典(註釈版)557頁 

清浄光明ならびなし 遇斯光のゆゑなれば 

一切の業繋ものぞこりぬ 畢竟依を帰命せよ                  

※遇斯光 「弥陀仏にまうあひぬるゆゑに」左訓                                  
あえるはずのない私が、阿弥陀さまの誓願(せいがん)にあうことができました。
※業繋 「罪の縄にしばらるるなり」左訓 
自分でつくった罪の縄で、自分自身をしばっています。
自縄自縛(じじょうじばく)

 

歎異抄     浄土真宗聖典(註釈版)834頁

一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。

※有情 いのちあるものすべて

現代語訳
いのちのあるものはすべてみな、これまでなんどとなく、生まれ変わり死に変わり してきたなかで、父母であり兄弟姉妹であったのです。 

 

                                                                      

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