親鸞さま御旧蹟 小島の草庵跡
一花一人一期一会。お念仏を称えてこの出遇いに深く感謝いたします。
私たち一人一人のいのちが、上にも下にも比べることのできない、誰とも代わることができない、かけがえのない尊いいのちであることを示した、いのちの尊厳を宣言する名告りであるといえます。
信心に生きることが 本当の人として生きることなのです
此岸(しがん)を厭(いと)い離れて彼岸(ひがん)に往(ゆ)き生まれる仏弟子の生き方
暁のあと、日の出前に東の空が明るくなってくる時間帯が曙(あけぼの)です。
私一人ではなく多くの同朋(どうぼう)とともに、再び迷いに世界に後戻りすることない道を、一歩前に歩み始めることができます。
心が貧しいとは、自分のことばかり考えて周りの人のことを考えない自分中心のありようを「心が貧しい」と言われたのだと気づきました。
あなたもわたしも「ほとけのこども」
私の内心に鬼が棲(す)んでいたのです。
しばらくお念仏を称えながら一人で思索していましたが、本当に大切な一時を過ごすことができました。著書を読むことは大切ですが、その場所で感じることも必要だと思います。
宗教に限らず人生で最も影響を受けた人を、1人選ぶとしたら誰を選びますか?
悲歎述懐讃 なんと悲しいことであろう。 出家のものも在家のものも、日の良し悪しを選び、天地の神々を崇(あが)めながら、占いや祈祷(きとう)を日々のつとめとしている。
人は花 花は人 一人一花一語一会
自然災害や火災の時、まっ先に持ち出したのが御本尊や聖教だったということ。今とは優先順位が違っていたようです。仏の座を守ろうとしたのでしょう。花を見るとその歴史を思いおこします。
弁円さんの心も次第に憎嫉(ぞうしつ)から尊敬の念に変わっていきました
一枚の写真のなかに人生の物語があることも・・・。
家庭報恩講(ほんこさん)は私自身の大切な学びの場(法座)でもあります
瓦礫(がれき)のように価値のないものと思われているものが、本当は尊く輝いていることに気づいてもらいたいと思います。
人に正しい答えを与える前に、自分自身の内心に生まれた問いに、真摯に向き合う必要がありそうてす。
踏みにじってもよい「いのち」はありません
二人の講師をお話しを聞いて共通していたのは言葉の大切さ
平凡な凡夫には 平凡な花が似合う
大人になり分別心でものごとを判断するようになると、この問いを忘れてしまうかもしれません。
生きとし生くるものすべて このみひかりのうちにあり
個人の能力・資質などに関わらず 「いのち」そのものが尊い
久しぶりに皆さんの顔を見て 正信偈唱和の声やお念仏の声を聞くことができ 本当にうれしいことでした
お念仏を称え合掌礼拝する姿とお念仏の声が和顔愛語
今日の一日を誠実に生きること。 自らの分を尽くすこと。
お互いに憎しみあい傷つけあっている。それが人間社会のありようならばこんなに悲しいことはありません。