ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

倶会一処(くえいっしょ)の世界  

ミゾソバの花 みんな一処(ひとところ)でお互いに輝きあっています


倶会一処(くえいっしょ)は仏説阿弥陀経に説かれている言葉です。「倶会」はともに会う、「一処」はお浄土を意味しており、お浄土で再び会うことができるという意味になります。今、会えているから浄土で再びあうことができるということです。

さらによく味わうととても深い意味になります。 

会うは出遇(であ)うということであり、お互いに敬うべき人たちと出遇(であ)うこと、浄土はともに生まれて往(ゆ)くべき世界ということになります。

今すでに阿弥陀さまの願いに遇った私たちが、真(まこと)の仏弟子として、お互いに敬いあうべき御同朋(おんどうぼう)と本当に出遇(であ)い、ともに往(ゆ)き生まれる世界が、お浄土だと私は味わっています。

阿弥陀さまの願いに遇うことが、本当の人との出遇(であ)いだといえるのではないでしょうか。法然聖人と親鸞聖人のように別れることのない出遇いです。そう味わうと将来だけはなく、現在この場所での救いになります。

お念仏を称えるとき、私たちはすでに時間や場所の隔てを超えて、互敬(ごけい)の関係で出遇(であ)っています。

この私自身も、先だって往生した両親や兄、そして多くの有縁の方たちといま出遇っています。よくよく思案すれば、すべての人に対して倶会一処(くえいっしょ)の世界として開かれているのが浄土なのでしょう。お互いに愛と憎しみを超えて出遇うことができます。

お念仏を称え、お互いに敬いあうことのできる御同朋(おんどうぼう)として、みなさまと共に浄土に往生しましょう。

南無阿弥陀仏

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