ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

丸柱の物語

本堂に足を踏み入れ、大屋根を支える欅(けやき)の丸柱を見上げるとき、時空を超えた不思議なつながりに包まれる感覚を覚える。

欅(けやき)の丸柱

福井県は豪雪地帯として知られているが、特有の重い雪の負荷に耐えて育つため、幹の密度が非常に高く、材質が硬く粘り強い。

成長がゆっくりである分、年輪の目が細かく均一に詰まる。際立つ光沢と色艶、時間をかけて成熟した材は、磨くことで赤みがかった美しい褐色と深い艶(ツヤ)がより一層引き立つ。

この立派な巨木は、江戸時代という遥か昔、越前国今立郡の深い山の中で、幾度もの厳しい豪雪に耐えながら数百年の時を刻んでいたものだろう。ご門徒が自らの所有する大切な山林から、最高の一本を寄附した姿がありありと目に浮かぶ。

明治の世を迎え、いざ伐採となった時、一振りの斧でこの大木を切り倒すだけでも壮絶な作業だったに違いない。重厚な丸太を山から切り出すには、大勢の人足が必要となる。おそらく冬の積雪を利用し、多くの門徒が息を合わせ、声を掛け合いながら里へと引き下ろしたのではないか。

しかし、切り出された木はすぐに柱にはならない。特に暴れやすいとされるケヤキである。数年間も水に浸して樹液を抜き、木の「癖」を落ち着かせるという、先人の知恵が生んだ長い時間が必要であった。

現代のような電動工具はない。この巨木を美しい丸柱へと仕上げるため、熟練の職人たちは大鋸(おが)を引き、手斧(ちょうな)を振るい、外丸鉋(そとまるがんな)で磨いた。

そして柱を建て、虹梁(こうりょう)と組み合わせる瞬間には、宮大工の指揮のもと、再び多くの門徒たちが汗を流し、力を合わせたのだろう。一本の丸柱の背景を辿ると、そこには大自然の営み、名もなき職人たちの思い、そして何より、この本堂を心の拠り所としてきた先人たちの、深く熱い信仰心が織りなされていることが見えてくる。

この柱は、ただ建物を支えているのではない。「次代のあなたへ、このお念仏のみ教えを届けたい」という、数え切れないほど多くの先人たちの「願い」を支え、今を生きる私たちへと繋いでくれているのだ。

私たちは、決して一人で生きているのではない。この本堂に満ちるお念仏の声とともに、数え切れないいのちのバトンを受け取って、今、ここに生きている。丸柱にそっと手を触れるとき、阿弥陀さまの温かいお慈悲のなかで、私たちはいつでも、先に浄土に往かれた人の「いのち」と深くつながっている。合掌

聖徳太子 憲法17条第10条意訳

聖徳太子像

叡福寺(えいふくじ)を訪ねて

2026年6月29日、聖徳太子ゆかりの叡福寺(えいふくじ)を訪ねましたが、改めて親鸞さまと聖徳太子のことについて考えてみたいと思います。

歎異抄には「善悪のふたつ、総じてもつて存知(ぞんじ)せざるなり」と記されていますが、智慧(ちえ)のない愚かな凡夫にはなにが善であり、なにが悪であるのか、究極のところはまったく分からない」ということです。

自らの都合の善いことを善として、独占しようとすることを独善性といいます。その結果、自らの都合の悪いことを邪悪として憎み、排除しようとします。そのことを排他性といいます。独善性と排他性は表裏一体の関係です。独善性と排他性により分断が生じ争いとなります。

凡夫の理性分別には限界があります。お互いに智慧のない愚かな凡夫であることに気づくことから、和み合う人解関係が生まれてくるとしめされています。

聖徳太子も親鸞さまも骨肉の争いの時代を生きられました。そこには末法五濁といわれる時代背景が現実にありました。激しい権力闘争の世のなかを生きられたからこそ、善悪正邪を超えて和み合う人間関係を求められました。

現在も世界中で争いが絶えない五濁悪世です。今一度、親鸞さまと聖徳太子を教えに学び、お互いの愚かさに気づき和み合う人間関係を構築しなければならないように思います。

2026.07.09 加筆しました

 

聖徳太子 憲法17条第10条意訳

1.意訳
心の中で怨(うら)まないようにしなさい。目に角を立てて怒ることがあってはいけません。

人が自分の思いとは違ったことを言っても、怒らないようにしなさい。

人はそれぞれ心に思うところがあり、自分が正しいと考える執着(しゅうじゃく)があります。

人が善いと考えることを、私は悪いと考え、私が善いと考えることを、人は悪いと考えます。

私がかならずしも間違いを犯さない聖人なのではないし、また人がかならずしも、いつも間違いばかりを犯す愚かな者でもありません。
両方ともに凡夫にすぎないのです。

なにを善いとし、なにを悪いとするか、どうして定められるでしょうか。

おたがいに賢こかったり、愚かであったりすることは、ちょうど丸い耳飾りの、どこが初めでどこが終りだか、端のないようなものです。

そのようなことですから、人が自分に対して怒ることがあっても、むしろ自分に過失がなかったかどうかを恐れなさい。

また自分の考えが道理にあっていると思っても、多くの人びとの意見を尊重して同じように行動しなさい。


2.原文

忿(こころのいかり)を絶(た)ち瞋(おもえりのいかり)を棄(す)てて、人の違(たが)ふを怒(いか)らざれ。

人みな心(こころ)あり。心(こころ)おのおの執(と)ることあり。

かれ是(よ)んずればすなはちわれは非(あし)んず、われ是(よ)みすればすなはちかれは非(あし)んず。

われかならず聖(ひじり)なるにあらず、かれかならず愚(おろ)かなるにあらず。ともにこれ凡夫(ただひと)ならくのみ。

是(よ)く非(あし)しきの理(ことわり)、たれかよく定(さだ)むべき。

あひともに賢(かしこ)く愚(おろ)かなること、鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。

ここをもつてかれの人(ひと)瞋(いか)るといへども、還(かえ)りてわが失(あやま)ちを恐(おそ)れよ。

われ独(ひと)り得(え)たりといへども、衆(しゅう)に従(したが)ひて同(おな)じく挙(おこな)へ。

 

3.語句の意味
忿(こころのいかり)を絶(た)ち瞋(おもえりのいかり)を棄(す)てて:いかり(忿怒と瞋恚)を離れて。

執(と)ること:我執(がしゅう)。執着(しゅうじゃく)。

理:道理。条理。

鐶(みみがね):金属製の輪。耳輪。指輪。耳輪。腕輪など。

 

4.味わい
親鸞聖人は聖徳太子を非常に尊敬され、その影響を受けられましたが、とくに憲法17条第10条は親鸞聖人の教えと重なるところがあります。

「ともにこれ凡夫(ただひと)ならくのみ。」お互いに過ちを犯しうる愚かな凡夫であるということ。

「なにを善いとし、なにを悪いとするか、どうして定められるでしょうか。」の部分は歎異抄後序の「なにが善であり、なにが悪であるのか、すべてを見通す智慧(ちえ)がないので私にはまったく分かりません」と言われているところ。

善悪がないといわれているのではありません。善悪はあるのだけれど、私には阿弥陀仏の智慧がないから分かりませんといわれているのです。

同様のことは正像末和讃の「是非(ぜひ)しらず邪正(じゃしょう)もわかぬこのみなり、小慈小悲(しょうじしょうひ)もなけれども名利(みょうり)に人師(のんし)をこのむなり」にも記されています。
なにが善くてなにが悪いのか、なにが正しくてなにが邪なのか、智慧のない愚かな私には分かりませんとおっしゃっています。

私たちの本性は自是他非に執着しています。自分が正しいと信じて、正しいことを妨げようとする他者を邪悪なものとして怨みをいだき、排除しようとします。

お互いの正義が対立して争いがおきます。人間に絶対正しいといえる正義はありません。

お互いの愚かさに気づいて打ち解け和み合う「和」を大切にする必要があります。

最後に聖徳太子の遺言に「世間虚仮(せけんこけ)・唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」という言葉がありますが、これも歎異抄後序の「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」という言葉と深く意味が通じています。

真実正しいと言えるのは念仏のみです。凡夫の正義は常に変化するもので依り処にはなり得ません。

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磯長廟・叡福寺を訪ねて

磯長廟・叡福寺を訪ねて

南大門



二天門

二天門

聖徳太子御廟

浄土堂

聖徳太子御廟

見真大師堂

宝鐸

見真大師堂

宝塔

磯長廟・叡福寺を訪ねて

讃仏偈』唱和

福井教区・邦中組門徒総代会「研修旅行」では聖徳太子ゆかりの磯長廟(しながひょう)・叡福寺(えいふくじ)を訪ねました。

僧侶に案内をしていただいたあと参加者45名は金堂に入り、全員で讃仏偈(さんぶつげ)を唱和しました。堂内に座り合掌してお念仏を称え礼拝する。一般の観光旅行ではあまり見られない光景ではないでしょうか。

叡福寺縁起(えいふくじえんぎ)

叡福寺縁起には次のように記されています。「推古30年(622)旧暦2月22日(太陽暦4月11日頃)太子が49歳で薨去(こうきょ)された後、前日に亡くなった妃・膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)と、2か月前に亡くなられた母穴穂部間人(あなほのべのはしひと)皇后と共に埋葬され、三骨一廟(さんこついちびょう)といわれるようになりました」

廟所は宮内庁の管轄なので敷地内に入ることはできませんでした。

案内をしていただいた僧侶の説明によれば親鸞さまは19歳・30歳・76歳・88歳のときに磯長廟にお参りされたようです。

和国の教主

親鸞さまは聖徳太子を「和国の教主(わこくのきょうしゅ)」として、生涯敬い続けられました。晩年には多くの和讃も書かれています。

『皇太子聖徳奉讃』
救世観音大菩薩 
聖徳皇と示現(じげん)して 
多々(たた)のごとくすてずして 
阿摩(あま)のごとくにそひたまふ

※多々(たた):父のこと  ※阿摩(あま):母のこと

現代語訳
救世観音(くぜかんのん)は、聖徳太子としてこの世にそのお姿を現され、まるで父や母がわが子を思うように、見捨てることなくいつも付き添っていてくださる。

ともに凡夫(ただひと)

また聖徳太子は、争いの絶えることのない末法の世のなかでは、お互いがともに間違いを犯す凡夫なのだから、仏法を依り処として、お互いに怒りや憎しみを捨て、和みあう関係になることが大切であることを説かれました。

世間虚仮・唯仏是真

聖徳太子の遺言は「世間虚仮(せけんこけ)・唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」、すなわち「世間は虚仮(こけ)なり。ただ仏のみ是れ真(しん)なり」という言葉です。

親鸞さまはこの遺言のことはご存知なかったようですが、聖徳太子の精神を受けとめた言葉が歎異抄の後序に記されています。
歎異抄
火宅無常(かたくむじょう)の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。

現代語訳
この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界であって、真実といえるものは何一つない。その中にあって、ただ念仏だけが真実なのである。

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石山本願寺推定地を訪ねて

石山本願寺推定地を訪ねて

2026年6月29日、福井教区・邦中組・門徒総代会「研修旅行」では大阪城公園に行きましたが、天守閣だけが目的だったのではなく、石山本願寺の周辺には広大な寺内町が造営されて、現在の大阪の町並みの原型となった場所だからです。

大阪市教育委員会の掲示板

 

『大阪市教育委員会の案内板』

石山本願寺推定地
明応5年(1496)に、本願寺八世蓮如が生玉庄の大坂に大坂坊舎を建立した。
これは現在のところ「大坂」の地名が史料上に現われる例である。

天文日記によると大坂坊舎は生玉八坊のひとつ法安寺の東側に建立されたといわれ、当時は小堂であったと考えられる。

その後細川氏をはじめとする諸勢力との権力闘争の中で大坂の重要性が増すとともに、天文元年(1532)に六角定頼と法華宗徒により山科本願寺が焼き打ちされるに及んで、本願寺教団の本拠である石山本願寺に発展した。

石山本願寺周辺は、山科と同様に広大な寺内町が造営された。この造営が現在の大阪の町並の原形となったと考えられる。
 
その後十一世顕如の時代に、信長との石山合戦に敗れ、石山本願寺を退去した本願寺教団は、鷺森、貝塚、天満を経て京都堀川に本拠を移転する。

一方、石山本願寺跡には豊臣秀吉によって大坂城が建設される。この時に、大規模な土木工事により地形的にかなりの改造が加えられたと考えられる。さらに大坂夏の陣ののち徳川大坂城が建設されるに際して、再び大規模な土木工事が行われた。

このような状況のため、石山本願寺跡の正確な位置や伽藍跡についてはいまだ確認されていないが、現在の大阪城公園内にあたることは確実と考えられている。
 
大阪市教育委員会

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前住職を偲んで

6月24日に前住職33回忌法要をつとめましたが、門信徒の方にお渡しした案内の文面です。前住職を偲ぶよすがとしていただければ幸いです。

人知れず野に咲き 
人知れず野に散る 
一輪の花
ミヤマヨメナ(深山嫁菜)

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どの花も美しい

どの花見ても きれいだな 2026.04.16撮影

やさしく 2026.04.14撮影

やわらかく 2026.04.08撮影 

 

最初にこの記事を書いたのは4年前ですが、その後中東で戦乱が拡大しています。花の色や姿が千差万別であるように、人にもそれぞれの生き方があり、個性や価値観があります。自身の価値観を押しつけるのではなく、お互いに認めあえる人間関係を築いていく必要があります。

認め合うためには忍耐も必要になります。「忍」に「言」を加えて「認」となります。

庭に咲いたチューリップの花を見ながらそんなことを考えました。

 

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どの花も美しい

ロシア軍のウクライナ侵攻に心をいためていますが、知人からいただいたチューリップの花を見ながら、「チューリップの歌」を思い出しました。 

チューリップの歌 
さいた さいた 
チューリップの 花が 
ならんだ ならんだ  
赤 白 黄色 
どの花みても きれいだな   

この歌は近藤宮子さんが、昭和5年(1930年)に作詞したものです。「どの花みても きれいだな」という歌詞が心に響きます。15年戦争が始まろうとしているときに作られました。軍隊の足音が聞こえて、軍事色に塗りつぶそうとされていたときに、弱い立場に置かれていた人に光を当てるような作品だと思えます。

仏説阿弥陀経には「池の中には車輪のように大きな蓮の花があって、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち、いずれも美しくその香りは気高く清らかである。」と書かれています。

それぞれが、お互いを認め合い、比べることなく、自分の属性を偽らずに生きていくことができる、そのような世のなかであってもらいたいものです。
2022.03.03

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後世に残す最大の遺産

後世に残す最大の遺産

お仏壇

亡父 壮年の時

今日は亡父33回忌の祥月命日、お仏壇にお参りして自分自身をふり返りました。私はどのような遺産を相続したのだろうか・・・。

父は57歳のときクモ膜下出血で倒れ、右半身麻痺となり失語症もともない16年間自宅療養生活を送り、73歳のとき自宅で息を引き取りました。

介護したのは主に亡母です。日常生活では動くことが困難で、食事・排泄・入浴・服薬など日常生活のすべてで介護を必要としていました。

失語症は、脳の言語中枢が損傷されることで、「聞く」「話す」「読む」「書く」の、言葉を操る能力に障害がある状態を言います。脳の損傷部位や広さによって、一人一人症状が異なるようです。

亡父の場合、意識ははっきりとしていましたが「話す」「書く」ことは、ほとんどできませんでした。 見ることはできましたが文字として認識する意味で「読む」ことはできなかったのかもしれません。「聞く」ことはできたように思います。

人は思うようにならない状況のなかでは、周囲の人に怒りをぶつけたり愚痴をこぼしたりするものですが、父はそのようなことがほとんどありませんでした。

これは療養生活の間も、心では念仏者としての生き方を貫いていたのだろうと思います。倒れる前は春風接人(人に優しく接しつつ、自分に厳しく規律を守る姿勢)という言葉を大切にしていました。

念仏者としてどのように老病死と向き合うのか、周囲の人にどのように接したらよいのか、話すことはできなくても自らの生き方で示していました。その生き方が私への遺産だと思っています。

2026.03.29

合掌

清楚に咲く菊咲一華。奢ることも媚びることもなく、春風のなかで毅然と生きています。

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祖父を偲んで

『日没礼讃無常偈』抄

祖父を偲んで

門徒宅に掛けてある祖父の書。書かれている言葉は善導大師『日没礼讃無常偈』抄です。今年(令和7年)は祖父(父方)の50回忌を勤めました。

祖父のことを知る人は少なくなりましたが、孫の私から見れば87年間の人生は自ら勤め励む、自策自励(じしやくじれい)の生涯でした。もっとも祖父自身は愚かな凡愚として、ただ聴聞の人生を歩んだと思っていたようですが。

無常偈を意訳して祖父を偲びます。合掌

 

日没礼讃無常偈(にちもつらいさんむじょうげ) 善導大師(ぜんどうだいし)

原文
人間悤悤営衆務 不覚年命日夜去
如灯風中滅難期 忙忙六道無定趣
未得解脱出苦海 云何安然不驚懼
各聞強健有力時 自策自励求常住

 

書き下し文
人間悤悤(そうそう)として衆務(しゆむ)を営(いとな)み、年命(ねんみよう)の日夜(にちや)に去(さ)ることを覚(おぼ)えず。

灯(ともしび)の風中(ふうちゆう)にありて滅(めつ)すること期(ご)しがたきがごとし。忙々(もうもう)たる六道(ろくどう)に定趣(じょうしゅ)なし。

いまだ解脱(げだつ)して苦海(くかい)を出(い)づることを得(え)ず。いかんが安然(あんねん)として驚懼(きようく)せざらん。

おのおの聞け。強健有力(ごうごんうりき)の時(とき)、自策自励(じしゃくじれい)して常住(じょうじゅう)を求(もと)めよ。

 

語句

悤悤(そうそう):あくせくするありさま。あわただしいさま。
衆務(しゅむ):日常生活のさまざまなつとめ。
忙々(もうもう):あわただしいさま。次々といそがしく輪廻(りんね)するありさまを指していう。
定趣(じょうしゅ):定着する所。
安然(あんねん):ぼんやりと過ごすさま。

驚懼(きようく):おどろきおそれること。

強健有力(ごうごんうりき)の時(とき):健康でいられるとき。
自策自励(じしゃくじれい):みずからつとめはげむこと。
常住(じょうじゅう):生滅変化を離れた涅槃のさとり。

浄土真宗聖典 七祖篇(註釈版) 669頁

 

意訳
人間はあわただしく日常生活を営んでいますが、自らの寿命が瞬く間に消滅しつつあることに気づいていません。

それは風のなかにある灯が、いつ消えるか予測できないのと同じです。
あわただしく流転変化(るてんへんか)し続ける迷いの世界に、安住できる処などありません。

私たちはいまだ苦しみの境界を出て、煩悩の束縛から解放されることができていないのです。

そのようななかで、どうしてぼんやりと過ごして、驚き恐れずにいられるでしょうか。

みなさんよく聞きなさい。健康でいられる時に、自ら勤め励み安住すべき覚りの世界を求めなければならないのです。

2025年12月22日 正覚寺住職 識

お仏壇

ご本尊

お仏壇(お内仏)

阿弥陀さまとともに

お仏壇には朝夕お参りします
悲しいときも うれしいときも
どんなときでも

遠足に行くとき
ともだちと遊んだとき

学校に入学したとき
学校を卒業したとき

成人式の日
就職したとき
初めて給料をもらったとき
人間関係で悩むとき

結婚式の日
子どもを授かったとき
子育ての日を過ごすとき
介護の日を過ごすとき
親しい人と別れたとき

病気になったとき
怪我をしたとき
災害にあったとき

旅行に行くとき
旅行から帰ったとき
お土産をもらったとき

家を建てたとき
引っ越しをするとき

野菜を収穫したとき
花が綺麗だと思ったとき
映画を見て感動したとき

友達とケンカしたとき
家族が亡くなったとき
故人を思い出すとき
孤独を感じるとき

生きる悲しさを深く感じるとき
老いや病気そして死の不安を感じるとき
生きるよろこびにつつまれるとき

今日は生まれて初めてであった今日
今日は生涯で一度だけの大切な今日
今日一日が一生涯

今日一日
朝夕お仏壇にお参りをして
自らの煩悩と向き合い

悲しいときも うれしいときも
どんなときでも 
お念仏を称えて
阿弥陀さまとともに生きます

2025.11.29

 

お仏壇には毎日お参りします。嬉しいときも悲しいときも。

法要や命日だけではありません。
入学、卒業、入園、卒園、就職、退職、転勤、出会い、別れ
入院、退院、結婚、結婚記念日、誕生、成人式、旅行など、
日々のできごとをふり返る場所でもあります。

人間関係や病気などで悩んだときも、

都合の良いときも、都合の悪いときも、

阿弥陀さまの願いを究極の依り処として、

愚かな自分自身を静かにふり返ります。

誰にとっても安心できる居場所がお仏壇の前です。

また、いただき物や誕生祝のケーキなどもお供えしてから、
お下がりをみんなで分けていただきます。
そうすれば小さな子にとっても嬉しい・楽しい場所になります。

そしてお念仏の声が、

いつまでも忘れられない心の記憶となるでしょう。

 

金子みすゞさん 「お仏壇」

お背戸(せど)でもいだ橙(だいだい)も
町のみやげの花菓子も、
佛さまのをあげなけりゃ、
私たちにはとれないの。

だけど、やさしい佛さま、
ぢきにみんなに下さるの。
だから私はていねいに、
両手をかさねていただくの。
・・・・・


2023.03.12

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光に遇(あ)う

智慧の光明

 

「パーン」

乾いた音が響いたのは昭和40年月7下旬、夏休みが始まってまだ間がない快晴の日の午前中でした。私が小学校年6生の時のことです。もともとのんびりとした性格であり、夏休みの宿題は8月末になってからするものと決めていたので、楽しい計画を胸の中にいっぱいふくらませて長い夏休みを迎えました。

当時の私は巻玉の火薬を使ったおもちゃの鉄砲で遊ぶのが好きで、その火薬の部分を集めて祖母からもらった薬の小瓶に詰めていました。まさにその瞬間です。瓶が爆発したのです。

人生が変わる瞬間でもありました。

目の前が真っ白になり、その後は断片的なことしかおぼえていません。楽しいはずの夏休みは50日近くの入院生活となりました。左の手で瓶を握りしめていたので、手のひらにはガラスのかけらがいっぱい突き刺さりました。100針ほど縫ったと思います。

ガラスは左眼にも入り視力を失いました。右眼の視力も徐々におち、夜寝るときには豆電球をつけないと不安でした。もし目が覚めたとき周りが真っ暗だったら・・・。その時以来、光の不思議さを思うようになりました。

光があるということは当たり前のことではなかったのです。

中学生・高校生になると、視力を失ったという身体的な悩みから、精神的な悩みに変わってきました。スポーツ、特に動きの速い球技は距離感がつかめず苦手になりました。劣等感といってもよいと思います。

周囲の目を避け小さな殻に閉じこもろうとする、自分自身に対する言い訳も多分にあったとは思いますが。しかし、その思いは単にスポーツが苦手であるという以上に、私自身が生きていることの意味そのものを決めるような重みをもって、私の心を押しつぶそうとしました。その思いを払拭するには長い年月が必要でした。
 

浄土真宗のみ教えを聞く中で少しずつ気づいてきたことは、太陽や月の光のように肉眼で見える光だけではなく、心の深い闇を照らす光があるということです。劣等感の背景には人の命そのものを優劣に分け、優れた人が勝者で劣った人が敗者であるという自己中心の〝ものさし〟があったように思います。

その〝ものさし〟で自分を卑下し傷つけていました。自分だけではありません。知らないうちに周りの多くの人も傷つけていたことでしょう。かけがえのない命を恵まれ、生きていること自体に素晴らしい意味があるはずなのに。

それに、よく考えてみれば見えない左眼も私の大切な身体の一部分でした。「ありがとう」とお礼の一言も言ったことはありませんが。それも「役に立つ」「役に立たない」という〝ものさし〟に縛られていたのかもしれません。
 
また、今までは自分の痛みしか考えていませんでしたが、親も痛みを感じていたことでしょう。「お父さん、泣いていなさった」とご門徒の方から聞かされたのは30年以上もたち、両親が浄土に往生した後のことです。

後で母に聞いたことですが、父の晩酌の酒量が少し増えたのもそのころからのようです。また、病院で共に眠れぬ夜を過ごしてくれたのは母です。ずっとそばにいてくれた両親や家族。親の気持ちが分かったのは私自身が親になってからのことです。

思い返すと家族以外にも多くの方の支えがありました。鯖江の病院に連れて行ってくださった近所の方。眼科の病院から外科の病院まで背負ってくださった小学校担任の先生。京都の大学病院には親戚やご門徒の方の同伴で行くことができました。

また入院のため修学旅行に行けず、思わず出たため息をそっと聞いてくださった病院の看護師さん。お見舞いに来てくれた親戚の人にも慰められました。その他にも退院後温かく迎えてくれた友人。迷惑をかけ通しだった高校担任の先生。そして、多くのご門徒にも心配をかけました。

自分一人が重荷を背負っているつもりでいたその気持ちの傲慢なこと。心に痛みを感じているのは自分一人だけではありません。

人はそれぞれ生きていることの痛みや悲しみをかかえているのだと思います。

阿弥陀如来の慈悲心をいただくということは、人の悲しみに寄り添い、温もりを共有できる開かれた心を持てることではないでしょうか。遠い記憶の中でジグソーパズルのように断片化していた周りの人との関係ですが、互いに支えあう温もりの心で繋がっていたような気がします。

煩悩という深い闇の底に潜んでいるのは、自分を是とし他人を非とする自己中心の〝ものさし〟です。闇があることに気づきもしない私たちの無明の闇を照らしてくださるのは、阿弥陀如来の光明です。その光に遇ったとき自身の本当の姿が明らかになり、歩むべき人生の方向を知らされます。

智慧の光明につつまれた人生の歩みは、もはや行き先の定まらない迷いの人生ではありません。自他を傷つける〝ものさし〟や人の悲しみに目を背ける閉ざされた心から解放され仲間と共に歩む道程です。

私たちは様々な悩みを抱えたまま阿弥陀如来の大きな願いにつつまれて、浄土に往生し仏になる命を今確かに生きています。私一人だけでなく、すべての命を照らし護ってくださる光でありました。              

浄土真宗福井教区 教区報『アミタ 2009(平成21)年号』に掲載
2022.01.31

今年(2025年)は11歳のとき左眼の視力を失ってから60年目の年になります。思えばこの60年は左の肉眼の視力は失ったけれど、如来智慧(ちえ)の光に遇(あ)い智眼(ちげん)に導かれた60年でした。肉眼では外が見えますが智眼では内心の闇が少しずつ見えてきます。

正像末和讃(しょうぞうまつわさん)

無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)なり

智眼(ちげん)くらしとかなしむな

生死大海(しょうじだいかい)の船筏(せんばつ)なり

罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ

意訳

愚かさという闇の世界を流転(るてん)しつづけている凡夫の行方を、常に照らしてくださる大きな灯火となるのが如来智慧光(ちえこう)なのです。ですから自らの智慧の眼が暗いと悲しまなくてもよいのです。罪や障(さわ)りが重くて果てしない迷いの海の底に沈んでいる、この私たちを乗せてくださる願いの舟があります。罪や障りが重いと嘆かなくてもよいのです。

2025.10.24

 

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絵本『一粒の涙』

赤とんぼ

秋の陽光

絵本『一粒の涙』


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秋も深まったある日のことです。一人の少年がお寺の境内で遊んでいました。

山のふもとにあるお寺は見晴らしがよく、遠くの 山や田んぼ、そして友だちの家も見えます。

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どこからか赤とんぼが飛んできて、近くで羽根を休めました。

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ふと足もとを見ると、そこには小さな石がころがっています。どこにでもあるような平凡な小石です。

いま初めて気づいたのですが、もしかしたら何年も前から、いいえ 何十年も前から、そこにいたのかも しれません。

赤とんぼを乗せて少し くすぐったい様子です。

しばらく座ってじっとながめていると、小石の いろいろな思いが伝わってくるような気がしました。

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桜の花びらを乗せてうきうきしたこと。

夏の日照りでやけどしたこと。

夜空の星にあこがれ、星のように輝きたいと思ったこと。

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鈴虫の声にうっとりして、いっしょに歌いたいと思ったこと。

だけど、それだけではありません。

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木枯らしの寒かったこと。だれかに踏まれて痛かったこと。だれにも痛いと言えず悲しかったこと。

そんな思いを少年に話しかけているように感じたのです。

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どれだけ時間が過ぎたのでしょう。見わたすともう夕暮れ時です。

虫の声も、あちこちから聞こえてきました。小石もいっしょに歌っています。

遠くの山に、大きな夕日が時を惜しむように、ゆっくりと沈んでいきます。

赤や黄色に 彩られた山々、収穫の終わった 田んぼ、鳥や虫、明りの灯った家、家路を急ぐ友だち。

すべてが、それぞれの色、それぞれの姿のまま、空一面 赤く染まった夕焼けに、深く深くつつまれて 輝いています。

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小石もまるで黄金のようにキラキラ 輝いています。

お寺で聞いたあみださまの国のようです。

入り日色は、お仏壇のなかに灯るロウソクの炎と同じ色です。

ごえんさんの話しを、思い出しました。

「いのちあるものすべてが、あみださまの光に照らされ、あみださまの心につつまれているんだよ」

「それぞれの思いや姿はちがっていても、みんな、かけがえのない尊いいのち、同じ なかまなんだね」

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なぜだか分からないけれど、心のなかがじんわりと温かくなりました。
 
思わず小石をそっと拾い、慈しむように両手で やわらかく つつんだとき、目から一粒の涙がこぼれて、きらりと光りました。

少年の唇がかすかに動いています。

「なもあみだぶつ」

その声が遠くの山々までこだましたように思えました。

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その時、少年の名をよぶ声が聞こえてきました。

帰りが遅いのを心配して迎えにきた、お母さんの声です。

夕闇のなかに ぼんやりとお母さんの姿が現れてきました。

よび声とともに・・・。

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あとがき  さとみ じゅんえい

絵本は子ども限定とは限りません。大人も読んだり聞いたりして感動します。意味の難しい言葉があるかもしれませんが、日本語の語感も大切だと考えました。すぐに理解できなくても大人と一緒に考えたり、絵で表現したりする方法もあるでしょう。

また、何度も読むうちに、それぞれが自由に情景を想像できるようになるというような、曖昧さもあってよいのではないでしょうか。

最近は、仮想空間で得た情報や知識を、偏重する傾向にあるような気がします。それも大事だとは思いますが、子どもの頃から豊かな情景を五感で感じたり、人の心を想う情感を育てることも大切なように思います。

日常の暮らしで見聞きした情景を、風土のなかで生まれた言葉で表現する。そんな豊かさがあるように思います。

素敵な絵を描いていただいた方に深く感謝致します。
2019(令和元)年9月

 

追記

以前に創作した絵本の体裁を変えて、PC、スマートフォン、タブレット仕様にしました。見づらいとは思いますがご容赦ください。

親鸞さまの書かれた『唯信鈔文意』に「いし・かわら・つぶてのような、わたしたち」という言葉があります。
瓦礫(がれき)のように価値のないものと思われているものが、本当は尊く輝いていることに気づいていくものだろうと思います。

自分自身が阿弥陀如来の摂取の光明に摂め取られたときに、いままでは気づくことがなかった多くの平凡な人たちもまた、摂取の光明に摂め取られて輝いていることに気づくようになるのだしょう。

瓦礫(がれき):価値のないもののたとえ。

礫(つぶて):小さい石。

唯信鈔文意

れふし・あき人、さまざまのものはみな、いし・かはら・つぶてのごとく なるわれらなり。如来の御ちかひをふたごころなく信楽すれば、摂取のひかりのなかにをさめとられまゐらせて、かならず大涅槃のさとりをひらかしめたまふは、すなはちれふし・あき人などは、いし・かはら・つぶてなんどをよくこがねとなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。

浄土真宗聖典(註釈版) 本願寺出版社

 

『絵本はこころの架け橋』岡田達信著 瑞雲舎
を読んでいます。

作家の柳田邦男さんは「絵本は人生で三度読むべき」だと提唱されています。
「一度目」は幼い時、「二度目」は親になった時、「三度目」は人生の後半に差しかかった時です。柳田さんの言葉を借りれば、私は「一度目」をよく憶えておらず、「二度目」で絵本に出会い直し、そのまま途切れることなく「三度目」に入ったようです。本書をよんで感じて頂けたように、「三度目」の絵本にはたくさんの宝が埋まっているのです。

越前市ゆかりの、かこさとしさん、いわさきちひろさん
の絵本は三度目に読んでも、新たに感動する絵本なのだろうと思います。

私も三度目に読んでも感動する「ほうわ」の絵本がつくりたくて、
何年か前に絵本『一粒の涙』つくりました。
そこに描いたのは私自身の姿です。

絵は共感してくださった、某寺院の坊守様とそのお孫さんが画いてくださいました。
寺院、高齢者施設、児童養護施設などいろんなところで読み聞かせをして、
多くの方に喜んでいただきました。
絵本読み聞かせの法座があつてもよいのではないかと考えています。

2023.09.19更新

「呼び名」と「関係性」

以前に『絵本はこころの架け橋』著者のワークショップに参加したことがあるのですが、とても楽しいものでした。参加者が5~6名ずつのグループに分かれて自己紹介をするところから始まります。

各自が「呼んでほしい呼び名」を書いた名札をつくるのですが、ニックネーム、愛称、下の名前などをひらがなで書きます。その理由を著者は「呼び名」がお互いの関係性に大きな役割を持っていると説明しています。

日常の生活では名字・肩書・役割などで呼ばれることが多いのですが、愛称で呼び合う関係は対等で親しい人間関係だということです。

私は呼んでほしい呼び名を、小学生のころの呼び名だった「○○ちゃん」と書きました。他の参加者から「○○ちゃん」と呼ばれたときに、最初は気恥ずかしい思いがしましたが、とても距離感が近くなったように感じました。

親の呼び名は、親が子に呼んでほしい呼び名を教えたから「お母さん・お父さん」「ママ・パパ」「お母ちゃん・お父ちゃん」と呼ぶようになります。

ふと思ったのが、阿弥陀さまは生きとし生くるものすべてに「南無阿弥陀仏」の

名を呼んでもらいたいと願われたのではないかということです。そして呼び名に真実の功徳をおさめて届けてくださったのでしょう。

名を称え呼んだときに南無阿弥陀仏の声となって私のところに出現されています。

そして名を称えたものは阿弥陀さまの子として、対等で互敬の関係をめざすようになります。

 

 

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なぜ報恩講を勤めるのか

親鸞さま御影

なぜ報恩講を勤めるのか

なぜ報恩講を勤めるのか

明日は年間最大の行事である、正覚寺報恩講が勤まります。そのため連日準備をしています。今日は年行事の方とともに本堂掃除や幕張りなどをしました。

私自身、以前とは体力や気力が衰えなかなか作業が進みません。それでも親鸞さまのご遺徳を偲び、人間救済の真実の教えが弘まることを願う心はまったく変わりません。

作業が一段落した午後、本堂に一人座り「なぜ報恩講を勤めるのか」考えてみました。

親鸞さまの生きられた時代

親鸞さまは晩年にいたるまでとても多くの著作を残されました。よほど法然さまの説かれた専修念仏が真実の仏教であることを、顕かにしたいという強い意思がおありだったのでしょう。

親鸞さまの生きられた時代は、約400年間貴族が支配していた社会から、このあと約700年間武士が支配する時代に変わる時で、明治維新以上に社会の構造が大きく変動した時代でした。地殻変動のようなものです。

保元の乱平治の乱、源平の争いなどが続き、皇族・貴族・武士も同族が互いに対立し殺し合うという骨肉の争いが続きました。争いは延暦寺興福寺などの大寺院の中でもくり返されました。

親鸞さまが得度されたのは木曾義仲が都に乱入した頃であり、栄華を極めた平家は壇ノ浦で滅亡しました。養和の大飢饉や文治京都大地震がおきたのもその頃です。

また親鸞さまの生涯には養和の大飢饉、寛喜の大飢饉、正嘉・正元の大飢饉など歴史に残る大飢饉があり、それぞれ数百万人の餓死者が出たようです。

親鸞さまはこのような人々の姿をご覧になりましたが、衆生利益(しゅじょうりやく)・苦悩の人々を救済すること、それは生涯の課題となりました。

加えて専修念仏禁止の過酷な宗教弾圧が何度もくり返されました。

一言でいえば人間社会の苦しみが凝縮された時代だったといえます。

自らの生き方として

このような世のなかにあって、一人一人がお念仏を称え、自分自身の愚かさに気づき、悪しきわが心をひるがえして、お互いに対立することを悲しみ、敬いあう人間関係を築き、ともに阿弥陀仏の心に摂め取られ、浄土に往き生まれることをお互いの歓びとする。そのようなことを自らの生き方として示されたのが、親鸞さまなのだろうと思います。

悩み多い人生をいかに生きるか

今の世のなかも戦争や自然災害が絶えません。苦悩も尽きません。長生きするようにはなりましたが、「老い病み死ぬ」という本質は変わりません。なぜ人間は悩むのでしょうか。苦悩の本質はなんでしょうか。自らの内にある苦悩の本質を見つめ、苦悩の人間関係、悩み多い人生をいかに生きたらよいのか。

その問いに向き合い、その答えを自らの生き方でもって示してくださったのが親鸞さまです。その親鸞さまのご恩を偲び、報恩講を勤めたいということに思いが至りました。

願いを究極の依り処として

ご恩を返すことはできませんが、阿弥陀如来の願いを究極の依り処として、お念仏を申す人生は、結果として、必然的に苦悩に向き合い、苦悩を超える人生となるのだろうと思います。それは親鸞さまや有縁の方々も歩まれた道です。

身を粉にしてもご恩を返すことはできませんが、ただ口から出るお念仏の声を耳で聞くばかりです。ご恩はお念仏の声とともに自ずと伝わり弘まります。

2025.09.27 報恩講前日了

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自宅での葬儀

白蓮華

先日、ご門徒の葬儀をしたのですがとても心に残りました。
最後はご家族に看取られ自宅で息を引き取られたたそうです。

通夜と葬儀は自宅で営まれました。
約50年前、法務を始めた頃はほとんど自宅での葬儀でしたが、この度は数十年ぶりの自宅葬儀。簡素でしたが、親族や近所の方も弔問にこられて悲しい中にもあたたかい心遣い。遺影の微笑みがご生涯を物語っているようでした。

通夜、葬儀のお勤めも参列者が皆さん揃って勤めてくださいました。
自宅仏壇前での出棺勤行のあと、奉懸された御名号の前に棺を置き葬場勤行。

くり返しくり返し聞こえてくるお念仏の喚び声。

施主挨拶の文言には「浄土に往生しました」との言葉。

長い法務の年月でお付き合いのあるご門徒で、このご家庭では三度目の葬儀を務めさせていただきました。故人と重ねてきた今までのいろんな会話が思い浮かんできます。

先だって往生され皆さまとはいずれ浄土でお遇いします。そしてお念仏の声につつまれて今もすでに遇えています。

残された私たちもお念仏を称えて同じ道を歩みます。

合掌

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ブログの投稿について

境内に咲くキクザキイチゲ


心のお寺

万人(ばんじん)に「心のお寺」を届けたい。ずいぶんとたいそうな気持ちで、はてなブログを開設して約3年になりました。思いのほか多くの方に読んでいただいているようです。

とてもうれしいのですが反省もあります。文章を書く作業は時間がかかり思ったように書けないということです。また「はてなブログ」の機能を使いこなせていないため試行錯誤をくり返しています。なにも知らずに始めたので戸惑うことばかりです。 

親鸞さまに学ぶ」の投稿ができていないことも気になります。

 

ブログの構成

ブログは「親鸞さまに学ぶ」「ほうわ」「よもやま話」の三部構成になっています。またそれぞれカテゴリーで小分類しています。

親鸞さまに学ぶ」はできるだけ原文の言葉を大切にしながら味わっています。私自身の学びに重きをおいています。意訳も試みていますが思うように進みません。

「ほうわ」はなるべく仏教用語を少なくして、まったく仏縁のなかった人にも読んでいただきたいと思い書いています。

「よもやま話」は日常の暮らしになかで感じたことなどです。
四方山(よもやま)=四方谷(しほうだに)。
四方谷から見える世のなかのことを、つれづれに書き記してています。

正覚寺の歴史や建造物の紹介もしているのでご覧下さい。

 

通勤時間、通学時間、病院での待ち時間、秋の夜長、心の休憩などの時、花鳥風月の写真とともに読んでいただければうれしく思います。

2025年8月24日現在の「はてなブログ」合計投稿数163、合計アクセツ9845。

親鸞さまに学ぶ 投稿数18   合計アクセツ   1522
ほうわ     投稿数79 合計アクセツ 5001 
よもやま話        投稿数66 合計アクセツ 3322

https://doubou.hateblo.jp/        親鸞さまに学ぶ
https://doubou.hatenablog.com/   ほうわ
https://doubou.hatenadiary.jp/   よもやま話

 

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戦後80年をふり返る

歓喜会当日の様子

2025年8月15日、歓喜会法要と全戦没者追悼法要を勤めましたが、法要前日に準備が整った本堂で一人、戦後80年を振り返りました。

私は昭和50年頃から法務を始めました。昭和50年といえば戦後30年です。当時21歳だったので、若い私には参拝されているご門徒の思いも分かりませんでした。

しかし今ふり返ってみると、身内が戦死した方、自らが被害者となられた方、自らが加害者となられた方、負傷された方、戦地で病気になられた方、食べ物がなく飢えに苦しんだ方など、いろんな思いを胸に秘めてお参りになられていたのだろうと思います。

また戦前・戦中の価値観と戦後の価値観が反転するような状況に、人生観が一変してしまって依り処を見失った方。正義感が崩壊した方。

いろんな人が他人に言えない思いを胸に秘めて、救いを求められずには、いられないような思いで、お寺にお参りになっていたのかもしれない。そのなかには私の両親や親族も含まれています。

寺院や宗教教団も例外ではありませんでした。社会の状況に巻きこまれて軍国主義に積極的に加担するようなこともありました。とても恥ずかしいことです。戦時中の僧侶がどのような布教をしてきたのか、検証しなければならないでしょう。

そんなことを思うと「あなたたちの人生を無駄にはしません」「二度と戦争をすることのない世のなかにしていきます」ということを、伝えていく責任があるように思えてきました。

一人だと思っていた本堂は、お念仏を称えて先に浄土に生まれ、諸仏となられた方々で満堂でした。あちらこちらからお念仏の声が聞こえてきます。私たちも愛憎の分別心で敵と味方が分かれて争うこの世を厭(いと)い、愛憎を超えた怨親平等(おんしんびょうどう)の世界に生まれることを願います。

浄土は生きとし生くるものすべてを、平等に一人子のごとく慈しむ大悲心の世界であると同時に、国籍や民族を超えた無分別平等の救いの世界です。

お念仏の声に、怨親平等の浄土に生まれさせようとする、阿弥陀如来の願いがはたらいています。そしてその願い(信心)に生きることが真実の喜び、すなわち歓喜(かんぎ)となります。これが歓喜会(かんぎえ)の由縁です。

愛憎で自他が対立するこの世に生きることに慚愧(ざんぎ)が生じるときに、一如平等の浄土に生まれることが歓喜(かんぎ)となります。

慚愧と歓喜は同時に生じます。

阿弥陀如来の心は、この世で一人でも苦しむ者があれば、決して見すてることはないという心です。

歓喜会でご講師が紹介された歎異抄の言葉が、心に響きました。この世のことは善悪正邪の価値観を含めてすべてが変化するもので、凡夫の心に絶対に確かだといえるものはなにもありません。真実正しいといえるのはお念仏のみです。

歎異抄
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします

浄土和讃
南無阿弥陀仏をとなふれば
十方無量(じっぽうむりょう)の諸仏(しょぶつ)は
百重千重囲繞(ひゃくじゅうせんじゅういにょう)して
よろこびまもりたまふなり
※囲繞(いにょう):とりかこむこと

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