ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

耳の底に響く声

前住職(父)が昭和40年代に書いた短編法話集の中に、群馬県出身の詩人吉野秀雄さん(明治35年~昭和42年 58歳)のことが記されています。

ふるさとの母の称ふる念仏の 耳の底よりわれをいざなふ  吉野秀雄

吉野さんの母親は信心深い人であって、お念仏を称え乍ら吉野さんを育てられました。つまり吉野さんは母のお念仏の声を耳にしながら成長したのです。しかし幼少の時はただ何ということもなしに、その声を聞いていただけであったのです。

やがて吉野さんは故郷をでて有名な歌人となりました。
吉野さんの老母は今も健在、故郷てお念仏とともに余生を送っておられるのです。

自身もすでに年老いてこられた吉野さんがふるさとを思い老母を思うにつけ母が幾十年称え称えてこられた、お念仏の声が吉野さんの耳の底から心の底に強く深くあたたかく響いてくるのです。

「秀雄、お前ももうすっかりいい年になってしもうたではないか。さぞ苦労を重ねたことであろう。しかしいつまでもこの世の儚い夢を追うていてはなるまい。手を合わせる人間、お慈悲を頂く人間、お念仏申す人間に早くなっておくれ。先の短い母の、お前にいいたいことはそれだけ」

老母のお念仏は遠くふるさとをはなれた息子の耳に、胸にそう響いてくるのです。
無学な母の称うる念仏が、博学な歌人の全身に語ってくるのであります。

 

吉野秀雄さんの歌には次のような歌もあります。
在りし日の母が勤行(つとめ)の正信偈 
わが耳底(みみぞこ)に一生(ひとよ)ひびかむ

 

お聖教から関連する言葉を拾いました。

歎異抄
親鸞聖人の御物語(おんものがたり)の趣(おもむき)、耳の底(みみのそこ)に留(とど)むるところ、いささかこれを注(しる)す。
浄土真宗聖典(註釈版)831頁

『唯信鈔文意』
釈迦は慈父(じぶ)、弥陀は悲母(ひも)なり。
浄土真宗聖典(註釈版)713頁

御名(みな)称え 耳の底から 悲母(ひも)の声 住職法句

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加害者としての悪人

『平等への視座』本願寺出版社

『平等への視座』本願寺出版社発行 を読んでいます

仏さまの教えにまかせていこうという姿勢が、新しい念仏者の倫理を生み出していく。倫理ということですから、もう自分一人ではなく相手がいます。人と人との交わりがあります。全体性を帯びてきます。

悪人ということは、加害者であるということを意味しています。そこには被害者がいることを忘れてはなりません。念仏者は、煩悩具足の凡夫であるということの申し訳なさと痛みを感じながら、それゆえに少しずつ法によってたしなめられ、正しい方向性を知らされ、その方向に行く。・・・

 

hongwanji-shuppan.com

 

今までみ教えを自分にとって都合のいいように理解していたのかもしれません。更にいえば利用していたのかもしれません。

阿弥陀さまの智慧の光に照らされて、この私自身が悪人であることに気づかされたときに、自ずと加害者であることも認識するはずです。法律ではなく仏法のうえで自らの罪悪が問題とされてきます。

その自覚がなかったらどれだけ仏教用語の知識を得て詳細に理解したとしても、教えに学んだことにはならないのかもしれません。

今まで本当にみ教えに学んでいたのだろうか。自らが加害者であることを人に説くことなどできるのだろうか。

放逸無慚(ほういつむざん)に厳しく言及されている親鸞さまのお手紙を読み、もう一度、個人の心の問題としてのみならず、具体的な人間関係のなかで悪人正機(あくにんしょうき)を問い直したいと思います。

阿弥陀さまの智慧(ちえ)の光に照らされて悪人の私に遇(あ)う、それこそがあり得ないし有り難いことなのかもしれません。

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関東のご旧蹟を訪ねて

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西念寺12

関東のご旧蹟を訪ねて
4月に茨城県を訪ねて、親鸞さまが坂東でどのような暮らしを営まれたのか考えてみました。
関東のご旧蹟(きゅうせき)を訪ねたのは2回目です。前回は関東二十四輩(かんとうにじゅうよはい)といわれる、親鸞さま門弟ゆかりの寺院を個々に巡拝しました。

 

2010(平成22)年福井教区布教団研修旅行
築地本願寺 東京都中央区築地
本寺専修寺  栃木県真岡市
小島の草庵跡  茨城県下妻市小島
大覚寺 茨城県石岡市大増
西念寺 茨城県笠間市稲田
報佛寺  茨城県水戸市和田町
信願寺  茨城県水戸市緑町
願入寺  茨城県東茨城郡大洗町磯浜町
報恩寺  茨城県常総市豊岡町
報恩寺  東京都台東区東上野

 

2024(令和6)年ご旧蹟参拝
今回訪ねたゆかりの寺院は、教行信証を著述された西念寺のみでしたが、『親鸞の家族と門弟』今井雅晴著には次のように書かれています。

「一番長く住んでいたのは笠間市の稲田だろうと思います。」

親鸞には、昔から親鸞聖人門弟二十四輩(しんらんしょうにんもんていにじゅうよはい)と申しまして、二十四人のすぐれた門弟がいたといわれています。~中略~そういった最初のころの弟子たちの住んでいた所は、ちょうど稲田を中心とした三十五、六キロあるいは四十キロくらいの円の中にほとんど全部入るのです。」

親鸞は歩いて教えを伝えに行ったのでしょう。人間は一時間にどのくらい歩けるかというと、四キロあるいは五キロです。四キロとすると目的地まで四十キロで十時間かかります。五キロなら八時間、もっと早く歩けば七時間。つまり朝に稲田を出て、夕方に目的地に到着します。」

門徒の人たちは昼間は働いています。そこで親鸞は夜に教えを説き、翌朝見送られて帰るという一泊二日の日程の念仏布教の活動をしていたと私は思うのです」

親鸞の家族と門弟』今井雅晴著・法蔵館

 

この『親鸞の家族と門弟』の説明はかなり説得力があると思います。親鸞さまは比叡山で修行をされていたときに、比叡山の峰々を巡って礼拝する回峰行(かいほうぎょう)という修行もされていたことでしょう。平安京の六角堂に参籠された時も比叡山から百日間通われました。

以上のことをふまえて、茨城県常陸・下総)の地勢や風土・暮らしを知りたいと思い、レンタカーを借り西念寺を起点として二白三日で、観光地も含めて茨城県内を走りました

親鸞聖人御消息第2通には
「鹿島(かしま)・行方(なめかた)・奥郡(おうぐん)、かやうの往生ねがはせたまふひとびとの、みなの御よろこびにて候ふ。」
と記されています。
浄土真宗聖典(註釈版)738頁

鹿島(かしま)とは常陸の南東部、鹿島灘に面している郡のこと。
行方(なめかた)とは鹿島の西隣の郡。
奥郡(おうぐん)とは常陸の北部一帯のこと。

唯信鈔文意の最後には
「ゐなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき愚痴きはまりな
 きゆゑに、やすくこころえさせんとて、おなじことを、たびたびとりかへし
 とりかへし書きつけたり」と記されています。
浄土真宗聖典(註釈版)717頁

「ゐなかのひとびと」とは地方に住んでいて、毎日の暮らしに追われて学問をするような機会がなかった人々のことでしょう。

晩年京都におられた親鸞さまのお心には、都から遠く離れた地方に住む一般庶民のことがあったのだろうと思います。

今回改めて感じたこと
立教開宗800年の年に関東のご旧蹟に参拝して感じたこと。
私は浄土真宗本願寺派に所属していますが、どの宗派に所属しているかということよりも、親鸞さまの門徒・門弟として生きたいということです。
私自身の本師(ほんし)はお釈迦さまと親鸞さましかいません。

門徒(同門の徒・同じ親鸞聖人の門弟)
※本師(根本の教師)


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小島の草庵(おじまのそうあん)



親鸞さまは42歳のころ越後(えちご・新潟県)から信濃(しなの・長野県)・
上野(こうずけ・群馬県)・下総(しもふさ・茨城県)を通り常陸(ひたち・茨城県)に行かれました。そして常陸国の下妻(しもつま)というところに約3年間逗留されたということです。

この時、草庵を結ばれたのが小島の草庵(おじまのそうあん)だといわれています。
現在の茨城県下妻市に御旧蹟があります。

以前に関東の御旧蹟を巡拝したことはありますが、とても印象に残る旅でした。
この小島草庵の草庵で親鸞さまはご家族と、どのような暮らしをしておられたのかとても気になります。

詳しくは御旧蹟巡礼ガイドをクリックしてください。

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毫攝寺(ごうしょうじ) 桜の雲海

本尊 阿弥陀如来

宗祖 親鸞聖人

毫攝寺 桜の雲海

4月10日午後3時過ぎに一人で、真宗出雲路派(しんしゅういずもじは)本山・毫攝寺(ごうしょうじ)の境内で桜の写真を撮っていたら、一人の男性が近づいてきました。

「写真を撮るならもっとよい場所がありますよ」といわれ、今回特別に太鼓堂のなかに案内してくださいました。

狭い階段を太鼓堂の3階まで登ったのですが、この場所は望楼も兼ねているようでした。普段は公開していないということです。

見晴らしのよい太鼓堂の3階から見た桜は、雲海のように広がっていました。雲海から頭をだした御堂の屋根はまるで山のようでまさに絶景でした。

男性は詳しく桜の景観について話してくださいました。
「味真野小学校の一本桜よりも花期が遅いので花見を長く楽しめます」

会話をするうちにふと気が付いて、
「もしかしたらご門主でしょうか?」とお尋ねすると、静かに肯かれました。ご門主が境内まで来られて太鼓堂の上まで案内してくださったのでした。

カジュアルな服装のご門主と、作務衣(作業衣)を着た私がこうして会うことができたのも花が縁であり、なによりお念仏のご縁でしょう。

門主は写真撮影にも付き合ってくださいました。私はシャッターを押しながらご門主と立ち話。なんだか近所の方と話しているみたいな感覚です。ずいぶん庶民的なご門主でとてもうれしく有り難いことでした。

さらに2階に降りてみるとまるで雲海の真ん中のような・・・。ご門主のお話しを聞きながらまた撮影。

一花一人一期一会

境内に散った花びらを見ながら親鸞さまの和歌を口ずさみました。
「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
門主も桜も私も二度とないこの瞬間を生きています。

カジュアルな服を着られたご門主と、作務衣(作業衣)を着た私がこうして会うことができたのも花が縁であり、なによりお念仏のご縁でしょう。

お念仏がばらばらになっている「いのち」と「いのち」を紡(つむ)いでゆく真実の経糸(たていと)です。

阿弥陀堂と御影堂でお参りをして帰途につきました。
一花一人一期一会。お念仏を称えてこの出遇いに深く感謝いたします。

門前の桜

 

境内の桜

 


桜の雲海


雲海のなか

花むしろ

2024.04.10
毫攝寺
福井県越前市清水頭町第2号9番地

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天上天下唯我独尊

生まれながらにして尊いいのち(片上地区花祭り際の誕生仏)

4月8日は花祭り、お釈迦さまの誕生された日です。今回は誕生についての説話を紹介します。

お釈迦さまがお生まれになったのは、紀元前463年~383年(中村元説)だといわれています。誕生されたのはルンビニーというところでカピラヴァストゥを居城とする、釈迦族の王家に誕生されました。

お名前はゴータマ・シッダッタといい、悟りを開いた後には、釈迦族出身の聖者という意味で「釈迦牟尼世尊」と呼ばれ、釈尊ともいいます。父は浄飯王(スッドーダナ)で母は摩耶(マーヤー)夫人です。

生まれてすぐに七歩、歩かれたといいます。これは仏教説話ですから、事実を詮索することではありません。説話は本質を象徴する物語として聞くことが大切です。
七歩、歩いたというのは、迷いの世界である六道、すなわち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の世界を厭(いと)い離れて、さとりの世界に一歩踏み出した姿ではないでしょうか。

そのあと「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ・ゆいがどくそん)」といわれたそうです。花祭りのとき誕生仏に甘茶をそそぎますが、その時のお釈迦さまが上下を指さしているのはそのことをお姿に表しているからです。

誤解のないように説明しますが、これは「この世で、自分より優れたものはいない」という思い上がりの意味でもないし、「この世で、自分ほど偉いものはいない」とうぬぼれていることでもありません。

上下は無上・無下であり上も下もない、量(はか)るものさしが存在しないし量る意味がないと味わっています。いのちの尊さを量るものさしは存在しないと宣言されたのです。

「六道」すなわち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上はいのちの尊厳性を縛る世界です。お釈迦さまは、尊厳性を縛る世界から解放される道を歩まれました。

「我」は、お釈迦さま個人の意味ではなく、私たち一人一人の意味であるといわれています。私たち一人一人のいのちが、かけがえのない尊いいのちであるということです。

「唯我」とはただの私ということで味わっています。地位・名誉・財産などいのちを飾るものに束縛されない本来の私ということです。

また、「唯我」とはただ独(ひと)りの私として、という意味で味わうこともできます。職業・性別・地域・民族など、どこに所属していてもいのちの尊さにかわりはありません。浄土真宗の言葉で言えば凡夫ということができるでしょうか。

天上天下唯我独尊とは、私たち一人一人のいのちが、上にも下にも比べることのできない、誰とも代わることができない、かけがえのない尊いいのちであることを示した、いのちの尊厳を宣言する名告りであるといえます。

思い返すと私たちは、資質や能力・地位・名誉・財産などで人を比較し、自分より社会的な立場が高いとみなした人には媚(こ)びへつらい、社会的な立場が低いとみなした人を軽蔑(けいべつ)することがあります。まことに恥ずかしいことです。

また、私たちの人間関係は上下関係に縛られたものであることがよく分かります。優劣関係・強弱関係が人間関係の差別や対立を生んでいます。

そのような現実に目を背けて抽象的な言葉でいのちの尊さを語っても、どれだけの意義があるのか疑問です。

この説話の背景にはカースト制度があります。カースト制度は紀元前にインドを征服したアーリア人が、先住民を肌の色や職業で差別したのが始まりだといわれています。お釈迦さまは人は生まれによって差別されない。どのいのちも生まれながらにして尊いことをお示しくださいました。

 

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『父を想う歌』 正覚寺前住職

正覚寺前住職



-信は人なり-

信心に生きることが

本当の人として生きることなのです

 

正覚寺前住職(私の父)は
実父(私の祖父)のことを
心から敬愛していました

この小冊子『父を想う歌』は
昭和53年実父(私の祖父)3回忌のときに作成し
有縁の方に配ったものです

前住職はその年の8月57歳のとき

クモ膜下出血で倒れ右半身不随となり
以後16年間病床の身となりました

前住職は生真面目で不器用な人でしたが
私はとても大事にされ
敬愛しています

叱責されたことはありません

もちろん凡夫ですから

間違いをおかすこともあります

それでも人としての生き方を
16年間の病床生活を通じ
老病死を受け入れることで
身をもってしめしました

お念仏に荘厳(しょうごん)された生涯でした

私もお念仏を称えて 老病死を見つめ
同じ生き方をしたいと思っています

※この小冊子は前住職の手書きです

 文字からも生真面目さが伝わってきます

 

※表紙の先住殿というのは

 正覚寺前住職の実家・満願寺の前住職(当時)

 すなわち父の実父(私の祖父)のことです

表紙

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2023.01.12

3月29日は父(前住職)の祥月命日です。
父は実父(私の祖父)をとても敬愛していました。

昭和53年2月実父の3回忌にあたり小冊子『父を想う歌』を記し、有縁の方に配りましたが、小冊子に記されていない歌もあるので追記します。

昭和53年8月父はクモ膜下出血で倒れ右半身不随となり、16年間の病床生活をおくったので絶筆といってもよいと思います。

私もまた父をとても敬愛しています。

【恩愛】                                
子を憶(おも)ふ 親の情愛(なさけ) の切なさは 有り難きもの 悲しきものぞ

【僧】                                   
僧侶とは 如何(いか)なるものと 人とはば わが父とのみ われは答へん

【守一以止】                             
自らの 生くべき道を 領域を 断固として 守り給へり

【学道】                              
心弱き 悔いの思いの いとまなく 学びに学び 給いし生命

【強縁】                              
今は早や 浄土におはす 亡父(ちち)なれど その御心(みこころ)は わが胸に在り

【指路】                              
わが父の 歩み給ひし 一筋の 道を慕ひて 生くるのみなり

【光輝】                              
信徳(しんとく) 学問の徳 人の徳 闇の夜空に 光り輝く

【無倦】                                
倦むことを 知らず学べる 亡父(ちち)にして 日々新たなる 法喜(ほうき)ありけり

【明治】                                
あはれ知る 思いはうちに 深く秘め 黙する時は 黙したりけり

【父情】                                
父の情愛(なさけ) 深く知れるは やうやくに この小坊に 住みて後なり
※小坊:正覚寺のこと

【音信】                                
しげしげと 寄こし給へる 文どもの 山と残りて われをいざない

【丈夫】                                
ひたぶるに 道を歩みし 剛毅(ごうき)なる 精神(おもい)は労苦を 語り給はず

【恩愛】

子を憶(おも)ふ 親の情愛(なさけ) の切なさは 有り難きもの 悲しきものぞ

 

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此岸(しがん)から彼岸(ひがん)に往(ゆ)く道

此岸(しがん)から彼岸(ひがん)に往(ゆ)く道

二河白道の絵図



親鸞聖人 一念多念文意(いちねんたねんもんい)
原文
凡夫(ぼんぶ)といふは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらが身(み)にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、水火二河(すいかにが)のたとへにあらはれたり。
浄土真宗聖典(註釈版)693頁

 

意訳
凡夫というのは、私たちのような平凡な人のことをいうのですが、まことの智慧(ちえ)がない愚かさがその身のすべてにみちみちて、欲も多く、怒りや腹立ち、そねみ・ねたむ心が一時も止むことなく湧いてきて、息の絶えるそのときまで、とどまることはなく、消えることも絶えることもないと、善導大師(ぜんどうだいし)は水火二河(すいかにが)のたとえにあらわされています。

 

※西の彼岸に立つのは阿弥陀如来、東の此岸には巻物が画かれていますが釈迦如来ご入滅のあと教えが経典として残っているので経典(巻物)が画かれています。 

二河白道のたとえ
西岸は彼岸(ひがん)すなわち阿弥陀如来の安楽浄土・覚りの世界。 
東岸は此岸(しがん)すなわち私たちの世界・迷い苦しみの世界。

水河の水は私たちの貪りや執着の心をあらわしています。
火河の火は私たちの怒りや憎しみの心をあらわしています。

私たちの内心には人間の理性分別では制御できない心が潜んでいます。

白道(びゃくどう)は貪りや執着、怒りや憎しみの心のなかに清らかな信心がおこることをあらわしています。阿弥陀如来の意から開かれた道。

道を歩むのは仏弟子・念仏者。信心の定まった人。道を一歩踏み出すとき不退転の位につき決して後戻りすることはありません。

お仏壇

 

お仏壇
お仏壇の荘厳は彼岸(ひがん)で阿弥陀仏の願いを象徴している世界ですが、仏前の私たちのいるところは、老病死や人間関係の苦悩の現実に直面している此岸(しがん)の世界です。彼岸があるから此岸のありようが問われてきます。
彼岸は此岸を照らす無量の智慧(光)の世界です。

此岸(しがん)から彼岸(ひがん)へ
お念仏を称え、阿弥陀さまの呼び声とお釈迦さまの言葉に順(したが)い、此岸(しがん)を厭(いと)い離れて彼岸(ひがん)に往き生まれ、阿弥陀さまと同じ覚りを得るのが真(しん)の仏弟子としての生き方です。

 

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春はあけぼの

曙(あけぼの)の時間帯 正覚寺境内より東の空を見る 2024.02.19  6:41 


あけぼのは役人の出勤時間

紫式部清少納言が活躍した平安時代、そして親鸞さまが生まれた平安時代末期の時間区分は現在とは異なっています。暁(あかつき)といえば、現在ではやや明るくなってからを指しますが、古くは暗いうち夜が明けようとする朝の3時から4時頃をいいました。

暁のあと、日の出前に東の空が明るくなってくる時間帯が曙(あけぼの)です。

ちなみに「あした」といえば現在は翌日をいいますが、そのように用いられるようになったのは江戸時代以降です。それ以前では夜明けの時間帯である朝(あした)を示していました。

「あかつき→あけぼの→あした」というように時間帯が推移していきます。

御文章
されば朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身なり。

 

親鸞さまは夢をよく見られましたが、それは暁の時間帯です。

お聖教には暁という語がでてきますが、当時の時間帯が分からないと意味が分からなくなってしまいます。

同じ言葉が使われていても、中世と現代では意味が全く異なっている場合もあるので、厳密に読もうとすれば古語辞典や漢和辞典が必要になります。尊敬語や丁寧語の使い方も同様です。

尊号真像銘文
信心をうれば、暁になるがごとしと、しるべし。

「暁になるがごとし」は闇は破られたが闇と光が同居している状態のことをいいます。智慧の光で無明の闇が破られてはじめて、闇であったと気づきます。智慧の光に遇うまでは闇が闇であったことにも気づけません。

日の出前に東の空が明るくなってくる時間帯が曙(あけぼの)、親鸞さまの父親や叔父・伯父が役所で仕事を始めた時間です。

枕草子 清少納言
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 

朝廷の役所(おそらく諸国の国府の役所も)の門が開くのは太陽が昇る時でした。役人たちはその時までに門の前で待っていなければなりません。

-中略-その代わり、役所の仕事が終わる時間は早かったようです、午前10時から11時といったところでしょうか。それから朝ごはん。彼らは1日2食です。

日本列島に住む人々が1日3食になったのは、16世紀末から17世紀初め、江戸時代の最初のころになってからでした。平安時代鎌倉時代は、農民も朝早く起きてひと仕事してから朝食をとりました。

親鸞聖人とともに歩んだ恵信尼さま』今井雅晴著 自照社出版

 

NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代背景や習俗は親鸞さまの時代とも重なるとことがあります。

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  悲しみを超えて

白蓮華(びゃくれんげ)

 

1.浄土和讃 讃弥陀偈讃
たとひ大千世界に  みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名(みな)をきくひとは ながく不退にかなふなり

浄土真宗聖典(註釈版)560頁

意訳
たとえこの世界が煩悩の炎に包まれようとも、南無阿弥陀仏の喚(よ)び声を聞き、悩みや不安のただなかを通り過ぎて往く人たちは、決して迷いの世界に退くことなく、支えあう聚(なかま)とともに浄土に通じる道を一歩、歩みだすことができるのです。
 
語句
不退転(ふたいてん)  
人生の方向が定まること。煩悩に束縛された世界を離れ、同朋とともに束縛から解放された世界に一歩踏み出すことです。悩みや不安のまっただ中に浄土への道が開けてきます。

この和讃を味わうきっかけになったできごとがあります。人生には転機がありますが何かのきっかけで生き方が変わることがあります。

2.母の死

①突然の死

平成11年2月のことですが、母が73歳で突然亡くなりました。当時は自営業を営んでいましたが、夕方妻から電話がありました。

「お母さんが亡くなった」

慢性腎炎で10年間人工透析に週3回通っていたのですが、そんなに突然誰にも看取られることもなく、急死するとは全く思ってもいないことでした。

青天の霹靂、驚天動地とはまさにこのことです。ただ呆然とするだけでした。喩えていうなら、高速自動車道路を自動車で走っていたら、急に道路が途切れていて絶壁だったというような心境。

突然のことだったので、心の準備もできなくて大変なショックでした。その他にもいろんなことが重なり、精神的にとてもつらい辛い状況に追い込まれていきました。

なぜもっと早く気が付かなかったのだろう。どうして助けることができなかったのだろう。もっと優しい言葉をかけていれば・・・。慢性腎炎で人工透析をしていましたが晩年はとても辛い様子でした。だけど私は住職としての仕事、自営業、そして子育てなどで精一杯。

あんなに病気で苦しんでいたのに、もっと他の治療方法もあったのではないか。次から次へと後悔の思いや自責の念が込み上げてきます。
その思いは母の死から25年を過ぎた今でもあります。

②葬儀

葬儀当日

葬場勤行

出棺直前

葬場に向かうところ

葬儀は残雪のあるとても寒い日でした。住職なので寺を離れることができず他の家族が火葬場で収骨しました。お寺ではお骨が戻ってくるときに梵鐘を撞きます。その梵鐘はどうしても私自身が撞きたくて、寒風の吹くなか心の中で泣きながら梵鐘を撞きました。

還骨勤行の時 座っていることもできず 前方にかがみ込んでいます

 

お骨が戻ったあと本堂で親族とともに還骨の勤行を勤めます。寒さと心労が重なり発熱してとても座っていることができなくかがみ込んでしまいました。親族が心配して休むようにと言うのでしばらく休みましたが熱は下がらず、病院へ行き点滴をすることに。疲労困憊の葬儀が終わりました。

③自責の念

あとで分かったのですが、人は大切な人をなくしたときにさまざまな感情が交錯します。喪失感・苦悩・恐れ・否認・絶望・不安・怒り・体の不調・うつ・悲しみ・後悔・罪悪感・混乱・ショック・喪失感・自責の念など。

だけどそれは誰にでもおきることなのです。

一般には「元気をだして」など一方的に励ます言葉は好ましくなく、助言や他人との比較もよくないといわれています。大事なのは、必要な時にそばにいると伝えることだといわれています。そんなことを身をもって体験しました。

私はもともと、とても弱い人間です。いやなことからは逃げたいと思ってしまいます。
それは現実逃避です。長く自責の念にさいなまれているとき一冊の本にであいました。
『悲しみを超えて』キャロル・シュト-・ダッシャー著。
  
3.悲しみを超えて
キャロル・シュト-・ダッシャー著

『悲しみを超えて』キャロル・シュト-・ダッシャー著

悲嘆の中にいる間は、部屋に引きこもって、無力感と絶望にさいなまれる日があるかと思えば、次の日には、ショッピングに六時間も費やして、猛烈な勢いで用事を片づけることもあります。

自分の人生を恨めしく思う日があれば、その翌日には将末のプランを立て希望の灯をともしています。長い良い間、どうしようもない苦悩と罪悪感にさいなまれる人もいます。

まともにやっていけるようになるまでに、山ほどの疑いや不安や恐れと闘わなければならない人もいます。

いちばん重要のは、あなたもあなたをとりまく状況も他に同じものは一つとしてないこと、みなそれぞれ異なるのだから、なるのだから、あなたの悲嘆のプロセスにも、悲嘆から抜け出して癒し至るプロセスにも、一定のパターンを当てはめることはできなということです。

けれども、ただ一つ、すべての人に必ず当てはまることがありのます。それは「悲しみは避けて通ってはならない」ということです。これからの人生を有意義に送るためには、悲しみをやりすごすのではなく、悲しみと真正面から向き合い、悲しみのどまん中を通り抜けなければなりません。

悲しみを通り抜けるためには、悲しみ理解すること、悲しみについての知識をもつこと、そして誰かの助けが必安です。

中略

あなたもいつかきっと。悲しみと真正面から向きい、悲しみのまっただ中を通って、向こう側へと突き抜けられます。
「元の自分には戻れなくても、大丈夫、やっていける」と言える、今までとは違う自分になってまた新しい一歩を踏み出せるようになります。

 

4.母の遺言

①願いをよりどころとして生きる

本を読むと思いあたることばかりでした。この苦悩をどうしたら解決できるのか悶々としていましたが、あるとき母の言葉を思い出しました。本に書かれてている「誰かの支え」とは母の言葉でした。

母が急死した当日の朝、仕事に行く途中、私はいつものように母を病院まで送っていったのですが、そのとき母がこんなことを囁くように言っていました。

「今まで聞かせてもらった(聴聞した)ことはしっかり胸におさまっている」

これが母から聞いた最後の言葉です。この言葉に救われました。

どんなに悲しくてもこの言葉を支えとして生きることができる。阿弥陀さまの願いをよりどころとして前に進むことができる。深い闇のなかに浄土への道が開けてきました。

悲しみと真正面から向きい、悲しみに共感し、悲しみのまっただ中を通って、浄土へと突き抜けられる不退転(ふたいてん)の道です。悲しみのままが慶びとなる、苦悩から解放される道です。

②遺族の悲しみに共感

自分自身の体験をふまえ、ご門徒の葬儀や中陰法要を営むときも、遺族の思いをくみとり、丁寧な法要にしたいと思います。そして故人を偲び、遺族の思いを丁寧にお聞きしたいと思っています。

5.聚(なかま)とともに
浄土和讃の言葉が心底から響いてきました。

私一人ではなく多くの同朋(どうぼう)とともに、再び迷いに世界に後戻りすることない道を、一歩前に歩み始めることができます。

どこまで到達したのかは問題ではありません、支えあう聚(なかま)とともに浄土への道を一歩前に歩みだすことが救いです。

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心まずしく迷えるもの

内陣(ないじん)

 

一人の女性が訪ねて来られました

3年前コロナ感染症が拡大していた時の11月頃。所用をすませて寺に戻ったとき境内にとまっていた乗用車から、30~40歳代かと思われる一人の女性が降りてきました。

「お寺の方ですか?」と問われるので、「そうです、何かご用ですか?」と返答。
参拝したいということなので本堂に案内しました。

昨日、福岡県から福井県在住の友人に会うために来たけれど、今日は文殊山に行った帰途、県道を走っていたら、たまたま正覚寺が見えたのでお参りしたいと思った・・・。というような話しでした。

建物や荘厳のことについて一通り説明。静かに座って沈黙の時間。何か話したいことがあるようなのですが・・・。しばらく待って浄土真宗の教えについて語りかけました。

・・・ご本尊は阿弥陀如来です。阿弥陀如来は「いのちあるすべてのものを、一人も見すてることなく、平等に摂(おさ)め取りたりたい」と誓われました。その誓いが光のかたちとなりはたらいています。苦しみ悩む人を救うために立ち上がり一歩前に進もうとしているお姿です。」・・・そんなことを語ったようにおぼえています。

もっと近くでご本尊を拝みたいといわれ、なんと外陣(げじん)最前列の内陣(ないじん)間際の所に座り、ご本尊を長い間、じっとご覧になっていました。またしばらく沈黙の時間。目には涙をためておられる様子だったので私も沈黙。

なにか人に言えない深い悩みをもっておられる様子。

しばらくして、「どのようにお参りしたらいいのですか?」と問われました。・・・合掌して、できれば「南無阿弥陀仏」と称えてから礼拝してください。無理に「南無阿弥陀仏」と称えなくてもかまいませんが・・・と返答。初対面の人がお念仏を称えることはないだろうと、思っていたのですが、すなおにお念仏を称えられたので驚きました。

 

こころ貧しく迷えるもの

重誓偈(じゅうせいげ)

そして、「どのようなお勤めをするのですか?」と問われるので、たまたま経卓の上にあった浄土真宗聖典の重誓偈(じゅうせいげ)をお見せしたところ、聖典に目を通しながら突然「これは私のことです!」とはじめて大きな声で。

最初、なんのことかよく分からなくて、よくよく聖典をみると重誓偈の説明にはこのようなことが書かれていました。

久遠(くおん)の仏(ぶつ)が法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)となってあらわれて、すべての衆生(しゅじょう)をすくいとろうという四十八の願いをおこされた。

そうして、その願いをかならずなしとげて、心まずしく迷えるものを救うために、南無阿弥陀仏のみ名をすべての人に聞こえさせねば、仏にはならないと重ねて誓われている。仏説無量寿経のなかの偈(うた)である。

このなかの「心まずしく迷えるもの」がご自身と重なった様子でした。

私はいままで幾度となく重誓偈を読誦(どくじゅ)してきましたが、考えてもいなかったことだったので驚きました。貧しいというのは、経済的に困窮(こんきゅう)した生活をすることだとばかり思っていたのです。

もちろんそのこともありますが、心が貧しいとは、自分のことばかり考えて周りの人のことを考えない自分中心のありようを「心が貧しい」と言われたのだと気づきました。

仏説無量寿経』重誓偈
我於無量劫(がおむりょうこう) 不為大施主(ふいだいせしゅ)
普済諸貧苦(ふさいしょびんぐ) 誓不成正覚(せいふじょうしょうがく)

われ無量劫(むりょうこう)において、大施主(だいせしゅ)となりて、
あまねくもろもろの貧苦(びんぐ)を済(すく)はずは、
誓ひて正覚(しょうがく)を成(な)らじ。
浄土真宗聖典(註釈版)24頁

意訳
私は果てしない時のあいだ、まことの功徳(くどく)をあたえる主(ぬし)となり、
貧しくて苦しみの多い人々を、すべて救うことができないようなら、
決してさとりを開きません。

女性はお寺で泣いたのは2度目だと話されました。

1時間以上お参りになって本堂を出られる時には少し落ち着いて、表情も和らいだように感じられました。

悩みを縁として

帰られたあと、女性が称えられたお念仏の声が私の心に響いてきました。

心まずしく迷えるものよ・・・。

よくよく考えてみると、こころ貧しく迷えるものとは私自身のこと・・・。心まずしく迷えるこの私を救いというのが阿弥陀如来の願いでした。

法要などの目的があってみなさんとお寺にお参りしていただくのもよいのですが、人生の悩みがあるとき一人でお寺にお参りしていただくのもよいものです。生きるヒントが見つかるかもしれません。私にも悩みがあります。一緒に学びましょう。

称名

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ほとけのこども

母子草

ずいぶん前のことですが
看護師が常駐している高齢者福祉施設法話をしたときのことです。会場に集まった高齢利用者の多くが認知症の方でした。みなさん車いすに座っておられます。話しを始めても身動きもせず反応もあまりありません。

私は仏教讃歌を歌いました。子どものころ日曜学校でみんなといつも歌っていた「ほとけのこども」です。

ほとけのこども
われらは     ほとけのこどもなり
うれしきときも  かなしきときも
みおやのそでに  すがりなん

われらは     ほとけのこどもなり
おさなきときも  おいたるときも
みおやにかわらず つかえなん

しみじみとした歌でとてもシンプルです。それでいてなんともいえない深い味わいがあります。

「われら」は私たちみんながという意味。「ほとけ」「みおや」は阿弥陀如来
「うれしきときも」「かなしきときも」「おさなきときも」「おいたるときも」は何時でも、誰でも、どんな時でもという意味になります。

でも意味の説明はそんなに必要ではないのかもしれません。

歌い終わりしばらく話しをして、とても静かな法座は終わりました。反応を気にかけながらエレベーターに乗り施設を後にしようとしたとき、看護師さんが話しかけてくれました。

「歌っているときに○○さんの唇が、歌に合わせてかすかに動いていた」と驚いて言われるのです。きっと幼い頃に私と同じように日曜学校で歌ったことがあるのでしょう。
数十年間記憶の底に眠っていた歌の記憶が甦ったのだろうと思いました。

いのちの原風景といってもよいと思います。

私はとても感動しました。仏教用語を使わなくても一緒に歌えば共感できる。それが法座の原点のように思えました。法座では童謡や仏教讃歌そして懐かしい歌を歌うこともあります。多くの場合みなさんが一緒に歌ってくださいます。

あなたもわたしも「ほとけのこども」です。


如来一切のためにつねに慈父母(じぶも)となりたまへり。
まさに知るべし、もろもろの衆生は、みなこれ如来の子なり。
教行信証 信文類 浄土真宗聖典(註釈版)288頁

釈迦は慈父、弥陀は悲母なり。われらがちち・はは、種々の方便をして無上の信心をひらきおこしたまへるなりとしるべしとなり。
唯信鈔文意 浄土真宗聖典(註釈版)713頁

 

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鬼はどこにいる?

鬼はどこにいる?

節分

豆蒔き


2月3日は節分ですが節分には豆蒔きをします。「鬼は外・福は内」。

数年前映画「鬼滅の刃」を見に行きました。恐ろしい鬼を滅するさまざまなキャラクターの活躍をみると、自分のストレスも消滅するような気がしました。

肉付きの面
映画を見終わってから、ふと考えてみました。「鬼の正体は何だろう?」「鬼はどこにいるのだろう?」福井県の吉崎には「肉付きの面」の伝承がありますが、よく考えてみると鏡に映る自分自身が鬼なのではないだろうか。
吉崎に「肉付きの面」を見に行かなくても、毎日顔を洗うときに鏡を見れば「肉付きの面」を見ることができるのかもしれません。

内心に棲(す)む青鬼・赤鬼

仏法という鏡に映し出された私自身の内心に、貪(むさぼ)りという青鬼、怒り・憎しみという赤鬼、自己中心というお酒に酔った愚かな鬼がいて、火の付いた車に乗せ地獄に追い立てていきます。貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)という猛毒を好んで自他を傷つけている私の内心に鬼が棲(す)んでいたのです。

慚愧(ざんぎ)の心

慚愧(ざんぎ)の心 慚愧があるから歓喜があります

そんな私たちの心に起きてくるのが慚愧(ざんぎ)のこころです。慚(ざん)も愧(き)も恥ずかしいという意味ですが、立心偏(りっしんべん)があります。内心に人を斬る心、内心に鬼の心、があると気づいた時に自ずと恥ずかしいという思いが生じてきます。

聞く耳を持つ

恥ずかしいという字は心の耳と書きますが、自己中心の自分自身の姿が恥ずかしいと思うようになると、心に聞く耳を持つようになります。

自分が正しいと確信しているときには他人の言葉には聞く耳をもちません。無意識のうちに自分を正当化して、他を論破し異なる価値観を排除しようとします。

それでは自分自身を反省する心が慚愧かというとそうではありません。もともと自己中心の私ですから根底から反省することなどできません。親鸞さまご自身は無慚無愧(むざんむぎ)の私だと言われています。自分自身を反省して恥ずかしいと思うような心は全くないと言われています。私たちは自分にとって都合のよいことだけを省みています。

慚愧の心は阿弥陀如来から賜った心です。

慚愧(ざんぎ)があるから歓喜(かんぎ)があります。慚愧と歓喜は表裏の関係なので切り離せません。一枚の紙の表裏の関係です。そして慚愧も歓喜も名号の功徳が届いたものです。

み教えが鏡となり智慧の光に内心を照らされたときに、無慚無愧の心であった自身が
恥ずかしくなる。そして本当の人間として生きる道が喜びとなる。それが救いなのです。

正像末和讃 愚禿悲歎述懐
無慚無愧(むざんむぎ)のこの身(み)にて まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまふ
                                              『浄土真宗聖典』註釈版617頁

意訳
罪を恥じるような心がまったくないこの私には、まことの心はありませんが、
阿弥陀仏からいただいた名号のはたらきによって、慚愧の心が生じました。
慚愧の心があるから私たちは、まことの人として生きていくことができます。
その名号のはたらきは、あらゆる世界に伝わっていきます。

この項の続きは次の「慚愧よく衆生を救う」を見てください
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吉水の草庵跡(よしみずのそうあんあと)

吉水の草庵跡(よしみずのそうあんあと) 

1.円山公園

吉水の草庵跡(安養寺)は以前から行きたいと思っていました。京都駅前から市バスに乗り祇園で下車。八坂神社を通り過ぎて円山公園に進みます。

円山公園の由来はもともとこの公園の一帯は、慈円山安養寺の境内であったことによります。安養寺は天台座主であった慈円ゆかりの寺です。徳川時代には慈円山は「円山」と称され、寺坊六ヶ寺と本坊を構えた堂々たる一山寺でしたが、明治になり、坊舎は「円山」の名と共に公園地に没収され、今は本坊、弁天社、雨宝堂を残すのみとなっています。

公園内を散策しながら東に進み安養寺をめざすのですが、道が入り組んでいて何度も同じ場所に戻ってしまいました。変だな・・前回は行くことができたのに。

円山公園案内掲示

円山公園案内掲示

2.知恩院
途中であきらめて知恩院経由で行くことにしました。知恩院の三門をくぐり正面の石段を登ります。まるでお城のように段差の大きい石段なので高齢者にはかなりきつい。
(石段を登らなくても南側にゆるやかな登り道があります)

知恩院御影堂の前を通り山の方をめざせば除夜の鐘で有名な大梵鐘が見えてきます。その鐘楼の所を南に進めばすぐに安養寺があります。それにしてもかなり東山を登ってきました。親鸞さまのように毎日通うのは大変だ・・・。

知恩院三門

知恩院参道の石段

黒門

 

大鐘楼

梵鐘

3.吉水の草庵跡(安養寺)

ようやく安養寺にたどり着きました。

地形をみると、吉水という名前の由来がよく分かります。東山の麓にありますから山の清らかな伏流水が湧き出ています。「よい水」それが吉水の由来です。

観光客が多い京都ですが、吉水の草庵跡は人も少なくひっそりとして、堂内には私一人だけ。京都観光の穴場でしょうか。京都にはこんなところが意外とあるんです。なかに座って法然さまと親鸞さまが出遇われた時の様子を、しずかに思いうかべていました。

親鸞さまは29歳で比叡山を下り、六角堂に百日間参籠されたのちに、吉水の草庵にも百日間通われました。恵信尼さまの書かれた手紙には「生死いづべき」道を聞かれたと
記されています。命がけの聞法だったのでしょう。

百日間というのは比叡山には回峰行というのがあり、その修行の単位として百日間というのがあったためかも知れません。

また近年の研究によると恵信尼さまは親鸞さまより先に法然さまの所に通われていたようです。親鸞さまと恵信尼さまのであいも吉水の草庵でした。

お二人はともに法然さまの同門の弟子という関係だったのです。これは結婚されたあとも終生変わらないことでした。
夫婦であるより以前に、互いに敬いあう同朋(どうぼう)の関係だったのです。親鸞さま29歳、恵信尼さま20歳のであいでした。

29歳から35歳まで吉水で過ごされた年月は親鸞さまの人生で最も充実した年月でした。教行信証には『選択本願念仏集』の書写を許されてとても感激したことが記されています。ご自身の人生経験はほとんど記されていませんが、法然さまを通じて本願に出遇われたことの方がよほど重要なことだったのでしょう。

安養寺の堂内に座ってその時の状況を想像するとき、とても感慨深いものがありました。
しばらくお念仏を称えながら一人で思索していましたが、本当に大切な一時を過ごすことができました。著書を読むことは大切ですが、その場所で感じることも必要だと思います。

吉水の草庵跡(安養寺)

 

安養寺堂内

4.法垂窟(ほうたるのいわや)

安養寺を出たあと、法垂窟(ほうたるのいわや)を目指すことに。もう一度知恩院大鐘楼のところに戻り、東山の奥に向かって山道を10分程進みます。山道を歩けるような履き物が必要です。山道を歩くとつい野花をさがしてしまいます。習性でしょうか。以前この辺にサルがでたこともあり、食べ物は手に持たないように注意しなくては。

歩いていると鶯の鳴き声が響きました。「ホーホケキョ」の鳴き声が法を聞けよと聞こえてくるからなんとも不思議。

法垂窟に着きました。この場所も法然さまが専修念仏の教えを説いた場所といわれています。ここも吉水。とても閑静です。親鸞さまも来られたのでしょうか。自然と手が合わさり、お念仏がこぼれてきます。


再び知恩院境内を通り抜け、三門前のレストランで遅めの昼食。かなり歩いたあとだしお腹がすきました。とても美味しい。食レポは無理ですが・・・。


2023.05.10

 

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人生で最も影響を受けた人

親鸞さま御影

人生で最も影響を受けた人

1.宗勢基本調査 2015(平成27)年
2015年に本願寺派から各寺院住職に、宗勢基本調査のアンケートがあったのですが、そのなかに次のような項目がありました。 

問い
あなたが浄土真宗の信仰をもつに至ったきっかけは、どのようなものですか。もっとも、強く影響したものを選んでください。(ひとつ○印) 
①親の影響        
②家庭の雰囲気    
浄土真宗の教えの学び
④善知識との出あい  
⑤門信徒とのふれあい 
⑥身近な人の死     
⑦人生の悩み (老いや病など)                                      
⑧寺院子弟として生まれたこと                                    
⑨はっきりしない     
⑩その他         
    
どれも当てはまるように思いましたが、ひとつ○印と書いてあったので①親の影響に○印をつけました。親の生き方を身近に見て、浄土真宗のみ教えを学ぶようになったからです。寺院子弟として生まれたことは決定的な要因ではありませんでした。            

後日、宗勢基本調査の結果が公表されましたが次のようでした。

①親の影響 回答1436 実数22.8%
②家庭の雰囲気 回答206 実数3.3%
浄土真宗の教えの学び 回答551 実数8.8%
④善知識との出あい 回答214 実数3.4%
⑤門信徒とのふれあい 回答125 実数2.0%
⑥身近な人の死 回答124 実数2.0%
⑦人生の悩み (老いや病など) 回答40 実数0.6%
⑧寺院子弟として生まれたこと 回答3272 実数52.0%
⑨はっきりしない 回答94 実数1.5%
⑩その他 回答228 実数3.6%
合計 回答6290  実数100.0%
欠損値 364     

2.人生で最も影響を受けた人
そのあと自分自身で問いを考えました。みなさんも一緒に考えてください。

問い
宗教に限らず人生で最も影響を受けた人を、1人選ぶとしたら誰を選びますか?
①家族 両親、配偶者、兄弟など。
②先輩 学校や職場の先輩。
③学校の先生
④友人
⑤タレント 
⑥スポーツ選手
⑦歴史上の人物
⑧その他
年代によって違うと思いますし、人それぞれですからどのような答えがあってもかまいません。

私が人生で最も影響を受けた人は親鸞さまです。

3.親鸞聖人の生き方
どうして親鸞さまなのかと考えてみると、その生き方に心から共感するからです。世間の価値観に埋没することなく、右往左往することもなく、終始一貫して末通った生き方をされています。

人の毀誉褒貶(きよほうへん)や世間の評価に翻弄されず、権力や権威に媚びることがない毅然とした生き方を生涯通されました。どのような弾圧や迫害をされてもその生き方は終始一貫していました。

お念仏が終始一貫した真実だから結果として、念仏者の生き方も終始一貫しているのでしょう。
※終始一貫:途切れない、曲がらない、変質しない、分かれない、唯一無二。

つねに世間の評価に振り回されている私とはまるで違います。

この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない。その中にあって、ただ念仏だけが真実なのである。『歎異抄後序』

このようにいうことは誰にでもできるのかもしれませんが、この言葉の通りに実践して生きることは至難のことです。「ただ念仏のみぞまこと」そのことを親鸞さまは自らの生き方をもって実践されました。

阿弥陀さまの願いを依り処として生きるとき、結果としてどのような人生となるのか

その証(あか)しがご自身の生き方として顕(あらわ)れています。

どのような素晴らしい言葉で語っても、自らの生き方で実践しているものでなかったら虚しいものです。

その親鸞さまが一番大きな影響を受けたのが法然さまです。

私の両親は親鸞さまを大変尊敬していました。また阿弥陀さまの願いに遇(あ)えたことを慶んでいました。両親を通じて親鸞さまに遇い、親鸞さまに遇えたから阿弥陀如来の願いに遇うことができました。

生死(しょうじ)をくり返すなかで、さまざまな人と縁(えにし)を結び、それぞれにご恩がありますが、いままで受けたすべてのご恩はお念仏でつながっています。

仏恩(ぶっとん)の深きことを知らされ、ただお念仏申すばかりです。

歎異抄
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします
浄土真宗聖典(註釈版)854頁

正像末和讃
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし
浄土真宗聖典(註釈版)610頁