ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

内心に潜(ひそ)む毒

本願寺福井別院 本堂

福井教区布教団主催「布教大会」

2023年度第1回布教大会
テーマ:自他ともに心豊かに生きることのできる社会をめざして
1.日時 6月22日
2.会場 本願寺福井別院 本堂

久しぶりにに参加
新型コロナウィルス感染症のために中止になったり
変則的な日程での開催が続いてしましたが
ようやく本来の日程で開催されました

福井教区布教団所属の布教使4人がそれぞれ40分の法話

布教大会の思い出
年3回開催される福井教区布教団主催「布教大会」
布教団の役員をしていた9年間はほとんど欠かさず毎回
「布教大会」に参加していました
はじめて法話をしたのは平成14年ですが
その時の緊張感はいまでも覚えています

法話の後の団員反省会は
時に火花が散るようなこともよくありました
み教えに学ぶお互いの真摯な姿勢が

緊張感をもたらすこともあります
緊張感も火花が散ることも時には必要です
惰性に流されることは恐いことです
だけど根底に相手を敬う心があってのことです

吉水に於ける
法然聖人を前にしての門弟の問答
歎異抄第2条の問答
どちらも緊迫感に満ちています
その根底には恭敬(くぎょう)の心があります

2023年度第1回布教大会聴聞
それぞれの法話聴聞して自分自身への問いをいただきました
「念仏のみぞまこと」と聞いてはじめて
自身の内心は「虚仮不実」だと知らされました
確信に満ちているときほど危ういものです

「内懐虚仮」の身だからこそ真実の功徳が満入してきます

み教えに学ぶと自身のありようや人間社会のありように
自ずと問いが生じてきます
そしてその問いが深まってきます
そして慚愧(ざんぎ)の心が発ります
そのことが人生に深い悲しみと慶びをもたらすように
思えてきました
そのことが救いなのかもしれません

放逸無慚(ほういつむざん)・無慚無愧(むざんむぎ)
のわが身に慚愧(ざんぎ)の心が発(おこ)る
それも本願のはたらきなのでしょう
まことに有り得ない有り難いことです

煩悩具足の私たちには
貪り・憎しみ・愚かさの三毒がそろっています
それは毒蛇や蠍(さそり)と同じです

毒蛇は蠍(さそり)を毒歯で噛み 
蠍(さそり)が蛇を毒針で刺す 

お互いに憎しみあい傷つけあっている
それが人間社会のありようならば
こんなに悲しいことはありません
自分の正義が毒針・毒歯だとは気づきにくいものです

お互いに毒をもった身であるからこそ
お互いに毒を消す南無阿弥陀仏の薬を好み
相手を毒で傷つけないような言動を心がけ
お互いに敬いあうことのできる
御同朋の人間関係にしていきたいと思いました

親鸞さまは御消息で御同朋(おんどうぼう)とはお互いのに人間関係だと
いわれています
それは人間関係は一人では解決できないからです
仏説阿弥陀経にしるされている共命鳥のはなしと同じです

「自他ともに心豊かに生きることのできる社会をめざして」
このテーマの意味するところは
御念仏を心に入れて申して
お互いに敬いあう御同朋の人間関係になることだと味わいました

布教大会で聴聞したことを重ねてお聖教に聞きました

 

外に賢善精進(けんぜんしょうじん)の相を現ずることを得ざれ、
内に虚仮(こけ)を懐いて、
貪瞋(とんじん)・邪偽(じゃぎ)・奸詐百端(かんさひゃくたん)
にして悪性侵(あくしょうや)めがたし、事、蛇蝎(じゃかつ)に同じ。

※貪瞋(とんじん)・邪偽(じゃぎ)・奸詐百端(かんさひゃくたん):
むさぼり、いかり、よこしまな心、いつわりの心、人をあざむく心が
かぎりなく起こること。
※蛇蝎(じゃかつ):へび、さそり。 
教行信証 信文類
浄土真宗聖典(註釈版) 217頁

悪性(あくしょう)さらにやめがたし
こころは蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり
修善(しゅぜん)も雑毒(雑毒)なるゆゑに
虚仮(こけ)の行(ぎょう)となづけたる
正像末和讃
浄土真宗聖典(註釈版) 617頁

本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆゑに。
悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと云々。
歎異抄
浄土真宗聖典(註釈版) 832頁

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