福井県鯖江市舟枝町には親鸞さまのご旧蹟『三度栗』があります。舟枝町は現在鯖江市中川地区ですが、当時は方上荘(舟枝・橋立を含む片上地区)であったと推測されます。
伝承が史実かどうかを詮索する必要はないでしょう。しかし方上荘(かたかみのしょう)を通られた可能性はあると思います。当時の北陸道がどこを通っていたのか検証しなければならないのですが・・・。
親鸞さまは35歳のときに承元の法難にあい、流罪のなかでも最も重い遠流(おんる)になりました。流罪の途中この方上荘を通られたときに、人々はどのような暮らしをしていたのかを想像しています。
年貢を納めるのに精一杯で日々の暮らしに追われている庶民にとって、お念仏を称えて平等に救われる教えは驚きだったことでしょう。
当時の仏教は鎮護国家の仏教で国家とは国民ではなく貴族などの支配者層を示していました。また大寺院も広大な荘園を有する大領主でもありました。現在私たちが想像する寺院とは大きな隔たりがあります。
余談ですが越前の平泉寺や豊原寺も延暦寺の末寺でした。
方上荘(かたかみのしょう)は殿下渡領(でんかわたりりょう)という藤原氏の氏長者が代々継承する直轄の荘園でした。興福寺・春日大社とも深い関係があります。
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