ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

2022-01-01から1年間の記事一覧

ただ念仏のみぞまこと

ヤマシロギク ヤマシロギクだろうと思います 境内に一輪だけで咲いています この花のシンプルな美しさが とても気に入っています 言葉で表現することは難しいのですが 『歎異抄』を連想しています 余分な修飾語を全部そぎ落としたあとに残る 省略の美とも言…

夕日の荘厳(しょうごん)

心の内には 人生の闇を照らす 灯火(ともしび)が 確かに灯っています

倶会一処(くえいっしょ)の世界  

阿弥陀さまの願いに遇うことが、本当の人との出遇(であ)いだといえるのではないでしょうか。

花の聲(こえ)を聞く

晴れの日も雨の日も嵐の時も、散る瞬間まで精一杯生きなさいと呼びかけているようでした。

いのちの原風景

家族の情愛や時間の隔てを超えて 遠く深く広がるいのちのつながりがあるように思えるのです

大悲(だいひ)の親

臨終の善悪はまったく問題とはなりません

後(うし)ろ姿

人は、 自ら教えられたという人の言葉に、 教わっていくものである。

ブログの構成について

今後ともどうぞ気長にお付き合いください

いのちの融(と)けあう世界

お互いの見解が異なっても 相手を認めあい 尊重することが大切です

私たちは仏(ほとけ)の子

生きる価値のない人はいません 生まれる価値のない人はいません あなたは大切な人です 私たちは仏の子です

見えていないもの

見ているつもりでも見えていないもの、聞いているつもりでも聞こえていないことがたくさんあります。

人生は聞法の道場

人生の苦悩が機縁となり自分自身のあるべき姿を見つめていく道場となる、それがお念仏の功徳(くどく)かもしれません。

心を潤(うるお)す法(ほう)の雨(あめ)

静かに仏法を聞けば、ほどよい雨が草木を潤すように、仏法の雨が心を潤して、しなやかさと活力を与えてくださいます。

人間 人と人の「間」にあるもの

普遍的な人間関係

ご本尊

ご本尊 阿弥陀如来 ご本尊 阿弥陀如来いのちあるものすべてを、一人も見捨てることなく、分け隔てすることもなく平等に救いたいという、阿弥陀さまの大悲心は私たちの称えるお念仏の声となり、分け隔てなく平等に伝わっています。「大悲弘(ひろ)くあまねく…

弱者の視点に立つ

念仏のでるところは、どこでも法座になりうるということです。

お慈悲のなかではみな兄弟姉妹

お慈悲のなかではみな兄弟姉妹

親鸞聖人讃歌

親鸞さまを讃(たた)える歌。 この歌には親鸞さまを敬う心が溢(あふ)れています。

「ひかり と いのち」

野花や小さな生きものを見ると、とても愛(いと)おしく思えてきます。

遺贈の絵画

失うことのない真(まこと)の宝

どの花も美しい

お互いいを認め合う世界

共に命がつながりあった鳥

【原文】かの国にはつねに種々・奇妙なる雑色の鳥あり。白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥なり。(中略)このもろもろの鳥は、みなこれ阿弥陀仏、法音を宣流せしめんと欲して、変化してなしたまふところなり。『浄土真宗聖典』本願寺出版社 【意訳…

光に遇(あ)う

ほうわ 「パーン」 乾いた音が響いたのは昭和40年月7下旬、夏休みが始まってまだ間がない快晴の日の午前中でした。私が小学校年6生の時のことです。もともとのんびりとした性格であり、夏休みの宿題は8月末になってからするものと決めていたので、楽し…