ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

吉水の草庵跡(よしみずのそうあんあと)

吉水の草庵跡(よしみずのそうあんあと) 

1.円山公園

吉水の草庵跡(安養寺)は以前から行きたいと思っていました。京都駅前から市バスに乗り祇園で下車。八坂神社を通り過ぎて円山公園に進みます。

円山公園の由来はもともとこの公園の一帯は、慈円山安養寺の境内であったことによります。安養寺は天台座主であった慈円ゆかりの寺です。徳川時代には慈円山は「円山」と称され、寺坊六ヶ寺と本坊を構えた堂々たる一山寺でしたが、明治になり、坊舎は「円山」の名と共に公園地に没収され、今は本坊、弁天社、雨宝堂を残すのみとなっています。

公園内を散策しながら東に進み安養寺をめざすのですが、道が入り組んでいて何度も同じ場所に戻ってしまいました。変だな・・前回は行くことができたのに。

円山公園案内掲示

円山公園案内掲示

2.知恩院
途中であきらめて知恩院経由で行くことにしました。知恩院の三門をくぐり正面の石段を登ります。まるでお城のように段差の大きい石段なので高齢者にはかなりきつい。
(石段を登らなくても南側にゆるやかな登り道があります)

知恩院御影堂の前を通り山の方をめざせば除夜の鐘で有名な大梵鐘が見えてきます。その鐘楼の所を南に進めばすぐに安養寺があります。それにしてもかなり東山を登ってきました。親鸞さまのように毎日通うのは大変だ・・・。

知恩院三門

知恩院参道の石段

黒門

 

大鐘楼

梵鐘

3.吉水の草庵跡(安養寺)

ようやく安養寺にたどり着きました。

地形をみると、吉水という名前の由来がよく分かります。東山の麓にありますから山の清らかな伏流水が湧き出ています。「よい水」それが吉水の由来です。

観光客が多い京都ですが、吉水の草庵跡は人も少なくひっそりとして、堂内には私一人だけ。京都観光の穴場でしょうか。京都にはこんなところが意外とあるんです。なかに座って法然さまと親鸞さまが出遇われた時の様子を、しずかに思いうかべていました。

親鸞さまは29歳で比叡山を下り、六角堂に百日間参籠されたのちに、吉水の草庵にも百日間通われました。恵信尼さまの書かれた手紙には「生死いづべき」道を聞かれたと
記されています。命がけの聞法だったのでしょう。

百日間というのは比叡山には回峰行というのがあり、その修行の単位として百日間というのがあったためかも知れません。

また近年の研究によると恵信尼さまは親鸞さまより先に法然さまの所に通われていたようです。親鸞さまと恵信尼さまのであいも吉水の草庵でした。

お二人はともに法然さまの同門の弟子という関係だったのです。これは結婚されたあとも終生変わらないことでした。
夫婦であるより以前に、互いに敬いあう同朋(どうぼう)の関係だったのです。親鸞さま29歳、恵信尼さま20歳のであいでした。

29歳から35歳まで吉水で過ごされた年月は親鸞さまの人生で最も充実した年月でした。教行信証には『選択本願念仏集』の書写を許されてとても感激したことが記されています。ご自身の人生経験はほとんど記されていませんが、法然さまを通じて本願に出遇われたことの方がよほど重要なことだったのでしょう。

安養寺の堂内に座ってその時の状況を想像するとき、とても感慨深いものがありました。
しばらくお念仏を称えながら一人で思索していましたが、本当に大切な一時を過ごすことができました。著書を読むことは大切ですが、その場所で感じることも必要だと思います。

吉水の草庵跡(安養寺)

 

安養寺堂内

4.法垂窟(ほうたるのいわや)

安養寺を出たあと、法垂窟(ほうたるのいわや)を目指すことに。もう一度知恩院大鐘楼のところに戻り、東山の奥に向かって山道を10分程進みます。山道を歩けるような履き物が必要です。山道を歩くとつい野花をさがしてしまいます。習性でしょうか。以前この辺にサルがでたこともあり、食べ物は手に持たないように注意しなくては。

歩いていると鶯の鳴き声が響きました。「ホーホケキョ」の鳴き声が法を聞けよと聞こえてくるからなんとも不思議。

法垂窟に着きました。この場所も法然さまが専修念仏の教えを説いた場所といわれています。ここも吉水。とても閑静です。親鸞さまも来られたのでしょうか。自然と手が合わさり、お念仏がこぼれてきます。


再び知恩院境内を通り抜け、三門前のレストランで遅めの昼食。かなり歩いたあとだしお腹がすきました。とても美味しい。食レポは無理ですが・・・。


2023.05.10

 

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