ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

一粒の涙

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秋も深まったある日のことです。一人の少年がお寺の境内で遊んでいました。

山のふもとにあるお寺は見晴らしがよく、遠くの 山や田んぼ、そして友だちの家も見えます。

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どこからか赤とんぼが飛んできて、近くで羽根を休めました。

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ふと足もとを見ると、そこには小さな石がころがっています。どこにでもあるような平凡な小石です。

いま初めて気づいたのですが、もしかしたら何年も前から、いいえ 何十年も前から、そこにいたのかも しれません。

赤とんぼを乗せて少し くすぐったい様子です。

しばらく座ってじっとながめていると、小石の いろいろな思いが伝わってくるような気がしました。

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桜の花びらを乗せてうきうきしたこと。

夏の日照りでやけどしたこと。

夜空の星にあこがれ、星のように輝きたいと思ったこと。

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鈴虫の声にうっとりして、いっしょに歌いたいと思ったこと。

だけど、それだけではありません。

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木枯らしの寒かったこと。だれかに踏まれて痛かったこと。だれにも痛いと言えず悲しかったこと。

そんな思いを少年に話しかけているように感じたのです。

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どれだけ時間が過ぎたのでしょう。見わたすともう夕暮れ時です。

虫の声も、あちこちから聞こえてきました。小石もいっしょに歌っています。

遠くの山に、大きな夕日が時を惜しむように、ゆっくりと沈んでいきます。

赤や黄色に 彩られた山々、収穫の終わった 田んぼ、鳥や虫、明りの灯った家、家路を急ぐ友だち。

すべてが、それぞれの色、それぞれの姿のまま、空一面 赤く染まった夕焼けに、深く深くつつまれて 輝いています。

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小石もまるで黄金のようにキラキラ 輝いています。

お寺で聞いたあみださまの国のようです。

入り日色は、お仏壇のなかに灯るロウソクの炎と同じ色です。

ごえんさんの話しを、思い出しました。

「いのちあるものすべてが、あみださまの光に照らされ、あみださまの心につつまれているんだよ」

「それぞれの思いや姿はちがっていても、みんな、かけがえのない尊いいのち、同じ なかまなんだね」

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なぜだか分からないけれど、心のなかがじんわりと温かくなりました。
 
思わず小石をそっと拾い、慈しむように両手で やわらかく つつんだとき、目から一粒の涙がこぼれて、きらりと光りました。

少年の唇がかすかに動いています。

「なもあみだぶつ」

その声が遠くの山々までこだましたように思えました。

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その時、少年の名をよぶ声が聞こえてきました。

帰りが遅いのを心配して迎えにきた、お母さんの声です。

夕闇のなかに ぼんやりとお母さんの姿が現れてきました。

よび声とともに・・・。

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あとがき  さとみ じゅんえい

本は子ども限定とは限りません。大人も読んだり聞いたりして感動します。意味の難しい言葉があるかもしれませんが、日本語の語感も大切だと考えました。すぐに理解できなくても大人と一緒に考えたり、絵で表現したりする方法もあるでしょう。

また、何度も読むうちに、それぞれが自由に情景を想像できるようになるというような、曖昧さもあってよいのではないでしょうか。

最近は、仮想空間で得た情報や知識を、偏重する傾向にあるような気がします。それも大事だとは思いますが、子どもの頃から豊かな情景を五感で感じたり、人の心を想う情感を育てることも大切なように思います。

日常の暮らしで見聞きした情景を、風土のなかで生まれた言葉で表現する。そんな豊かさがあるように思います。

素敵な絵を描いていただいた方に深く感謝致します。
2019(令和元)年9月

 

追記

以前に創作した絵本の体裁を変えて、PC、スマートフォンタブレット仕様にしました。見づらいとは思いますがご容赦ください。

親鸞さまの書かれた『唯信鈔文意』に「いし・かわら・つぶてのような、わたしたち」という言葉があります。
瓦礫(がれき)のように価値のないものと思われているものが、本当は尊く輝いていることに気づいてもらいたいと思います。

瓦礫(がれき):価値のないもののたとえ。

礫(つぶて):小さい石。

唯信鈔文意

れふし・あき人、さまざまのものはみな、いし・かはら・つぶてのごとく なるわれらなり。如来の御ちかひをふたごころなく信楽すれば、摂取のひかりのなかにをさめとられまゐらせて、かならず大涅槃のさとりをひらかしめたまふは、すなはちれふし・あき人などは、いし・かはら・つぶてなんどをよくこがねとなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。

浄土真宗聖典(註釈版) 本願寺出版社

 

『絵本はこころの架け橋』岡田達信著 瑞雲舎
を読んでいます。

作家の柳田邦男さんは「絵本は人生で三度読むべき」だと提唱されています。
「一度目」は幼い時、「二度目」は親になった時、「三度目」は人生の後半に差しかかった時です。柳田さんの言葉を借りれば、私は「一度目」をよく憶えておらず、「二度目」で絵本に出会い直し、そのまま途切れることなく「三度目」に入ったようです。本書をよんで感じて頂けたように、「三度目」の絵本にはたくさんの宝が埋まっているのです。

越前市ゆかりの、かこさとしさん、いわさきちひろさん
の絵本は三度目に読んでも、新たに感動する絵本なのだろうと思います。

私も三度目に読んでも感動する「ほうわ」の絵本がつくりたくて、
何年か前に絵本『一粒の涙』つくりました。
そこに描いたのは私自身の姿です。

絵は共感してくださった、某寺院の坊守様とそのお孫さんが画いてくださいました。
寺院、高齢者施設、児童養護施設などいろんなところで読み聞かせをして、
多くの方に喜んでいただきました。
絵本読み聞かせの法座があつてもよいのではないかと考えています。

2023.09.19更新

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