ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

天上天下唯我独尊

 

f:id:doubou:20220408202432j:plain

生まれながらにして尊いいのち

4月8日は花祭り、お釈迦さまの誕生された日です。今回は誕生についての説話を紹介します。

お釈迦さまがお生まれになったのは、紀元前463年~383年(中村元説)だといわれています。誕生されたのはルンビニーというところでカピラヴァストゥを居城とする、釈迦族の王家に誕生されました。

お名前はゴータマ・シッダッタといい、悟りを開いた後には、釈迦族出身の聖者という意味で「釈迦牟尼世尊」と呼ばれ、釈尊ともいいます。父は浄飯王(スッドーダナ)で母は摩耶(マーヤー)夫人です。

生まれてすぐに七歩、歩かれたといいます。これは仏教説話ですから、事実を詮索することではありません。説話は本質を象徴する物語として聞くことが大切です。
七歩、歩いたというのは、迷いの世界である六道、すなわち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上を超えたということを表しているという解釈もあります。

そのあと「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ・ゆいがどくそん)」といわれたそうです。花祭りのとき誕生仏に甘茶をそそぎますが、その時のお釈迦さまが上下を指さしているのはそのことをお姿に表しているからです。

誤解のないように説明しますが、これは「この世で、自分より優れたものはいない」という思い上がりの意味でもないし、「この世で、自分ほど偉いものはいない」とうぬぼれていることでもありません。
  
「六道」すなわち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上は尊厳性を縛る世界です。お釈迦さまは、尊厳性を縛る世界から解放される道を歩まれました。

「我」は、お釈迦さま個人の意味ではなく、私たち一人一人の意味であるといわれています。私たち一人一人のいのちが、かけがえのない尊いいのちであるということです。

「唯我」とはただの私ということで味わっています。地位・名誉・財産などいのちを飾るものに束縛されない本来の私ということです。
また、「唯我」とはただ独(ひと)りの私として、という意味で味わうこともできます。職業・性別・地域・民族など、どこに所属していてもいのちの尊さにかわりはありません。浄土真宗の言葉で言えば凡夫ということができるでしょうか。

天上天下唯我独尊とは、私たち一人一人のいのちが、上にも下にも比べることのできない、誰とも代わることができない、かけがえのない尊いいのちであることを示した、いのちの尊厳を宣言する名告りであるといえます。

思い返すと私たちは、資質や能力・地位・名誉・財産などで人を比較し、自分より社会的な立場が高いとみなした人には媚(こ)びへつらい、社会的な立場が低いとみなした人を軽蔑(けいべつ)することがあります。まことに恥ずかしいことです。

この説話の背景にはカースト制度があります。カースト制度は紀元前にインドを征服したアーリア人が、先住民を肌の色や職業で差別したのが始まりだといわれています。お釈迦さまは人は生まれによって差別されない。どのいのちも生まれながらにして尊いことをお示しくださいました。

 

www.facebook.com

www.facebook.com

 

doubou.hateblo.jp