ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

仏の座

ホトケノザ(仏の座)

11月12日(日曜日)は高齢者クラブの法話会でした。
寒い日になりましたが多くの会員が集まり、正信偈を読誦したあと私も会員の一人として、みなさんとともに聴聞しました。

数日前、法話の内容を考えていたとき、ご門徒の方が「仏の座」の花を持ってきてくださったので、その花の写真を見せながら法座を始めました。

法話要旨
「伝えたいこと 仏の座」
正覚寺本堂やご門徒のお仏壇には御本尊・脇掛・聖教など、数百年前から伝わる大切なものが残っています。
地区の歴史を調べると幾度も戦乱・大火・自然災害などがありました。以前は茅葺きの家が多く火事があればすぐに延焼しました。

それにも関わらず現に残っているのは被災したとき、まっ先に持ち出したのが御本尊や聖教だったということ。今とは優先順位が違っていたようです。

古老から聞いたのですが、福井空襲や福井地震の時、お仏壇の御本尊と脇掛をもって避難したそうです。福井市に住んでいたご門徒は空襲警報が鳴る度に、御本尊をもって避難したと話されていました。

正覚寺織田信長の兵火で燃やされたり、明治時代の大火で町内の民家とともに焼失したりしました、それでもお寺やお仏壇の御本尊や宝物・聖教は持ち出したようです。

仏の座を守ろうとしたのでしょう。花を見るとその歴史を思いおこします。

今の私にはとてもできそうなことではありませんが、そのような先人達の歴史は伝えていきたいと思っています。

正覚寺の御本尊は幾たびも火災にあったためか、金箔が剥がれています。補修をしたときも金箔は施しませんでした。火災にあって、命がけで持ち出した姿を、そのまま残したかったからです。

正覚寺の寺基(仏の座)も町内で2回場所が変わりましたが、今でもその場所は字名(妙観寺・門前出・寺之前)として残っています。

ゲンノショウコ(現の証拠)の花を見ながら、郷土誌『文殊山とかたかみ』には、かたかみ縄文人ゲンノショウコを食用としていたと書かれていることを思い出しました。

先人達が伝えてきた仏教と歴史、そして縄文時代から人が暮らしてきたこの地区の豊かな自然環境を守り次世代に伝えていくことが、大切だと思います。

ゲンノショウコ(現の証拠

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