あけぼのは役人の出勤時間
紫式部や清少納言が活躍した平安時代、そして親鸞さまが生まれた平安時代末期の時間区分は現在とは異なっています。暁(あかつき)といえば、現在ではやや明るくなってからを指しますが、古くは暗いうち夜が明けようとする朝の3時から4時頃をいいました。
暁のあと、日の出前に東の空が明るくなってくる時間帯が曙(あけぼの)です。
ちなみに「あした」といえば現在は翌日をいいますが、そのように用いられるようになったのは江戸時代以降です。それ以前では夜明けの時間帯である朝(あした)を示していました。
「あかつき→あけぼの→あした」というように時間帯が推移していきます。
御文章
されば朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身なり。
親鸞さまは夢をよく見られましたが、それは暁の時間帯です。
お聖教には暁という語がでてきますが、当時の時間帯が分からないと意味が分からなくなってしまいます。
同じ言葉が使われていても、中世と現代では意味が全く異なっている場合もあるので、厳密に読もうとすれば古語辞典や漢和辞典が必要になります。尊敬語や丁寧語の使い方も同様です。
尊号真像銘文
信心をうれば、暁になるがごとしと、しるべし。
「暁になるがごとし」は闇は破られたが闇と光が同居している状態のことをいいます。智慧の光で無明の闇が破られてはじめて、闇であったと気づきます。智慧の光に遇うまでは闇が闇であったことにも気づけません。
日の出前に東の空が明るくなってくる時間帯が曙(あけぼの)、親鸞さまの父親や叔父・伯父が役所で仕事を始めた時間です。
枕草子 清少納言
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
朝廷の役所(おそらく諸国の国府の役所も)の門が開くのは太陽が昇る時でした。役人たちはその時までに門の前で待っていなければなりません。
-中略-その代わり、役所の仕事が終わる時間は早かったようです、午前10時から11時といったところでしょうか。それから朝ごはん。彼らは1日2食です。
日本列島に住む人々が1日3食になったのは、16世紀末から17世紀初め、江戸時代の最初のころになってからでした。平安時代・鎌倉時代は、農民も朝早く起きてひと仕事してから朝食をとりました。
『親鸞聖人とともに歩んだ恵信尼さま』今井雅晴著 自照社出版
NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代背景や習俗は親鸞さまの時代とも重なるとことがあります。