ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

尊(とうと)み敬うべき「いのち」

分陀利華・白蓮華妙好人

法話聴聞

お勤めは『讃仏偈』の意訳『さんだんのうた』

最後の語句
たとい身は 苦難の毒に沈むとも
ねがい果たさん その日まで
しのびはげみて 悔いざらん

原文
たとひ身を
もろもろの苦毒のうちに止(お)くとも
わが行(ぎょう)、
精進(しょうじん)にして

忍びてついに悔いじ仮令身止(けりょうしんし) 

諸苦毒中(しょくどくちゅう) 
我行精進(がぎょうしょうじん) 
忍終不悔(にんじゅふけ)

 

この経文は俳優の高倉健さん

が大切にしていた

言葉でもありました

 

勤行の後

法話の趣旨はた個人の能力・資質などに関わらず

「いのち」そのものが尊いということでし

資質・能力・生産性の有無にかかわらず
信心よろこぶ人はどの人でも
如来と同じではないけれど
如来と等しい「いのち」として尊び敬わなければ
なりません

法話が終わったあと 改めてお聖教に
「いのち」の尊厳について聴聞しました

一切衆生は、つひにさだめてまさに大信心を得べきをもつてのゆゑに、このゆゑに説きて一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)といふなり。
大信心はすなはちこれ仏性(ぶっしょう)なり、仏性はすなはちこれ如来なり。
教行信証 浄土真宗聖典(註釈版)236頁

 

信心よろこぶそのひとを 如来とひとしとときたまふ
大信心は仏性なり 仏性すなはち如来なり
浄土和讃   浄土真宗聖典(註釈版)573頁

 

この信心の人を釈迦如来は、

「わが親しき友なり」(大経・下意)とよろこびまします。
この信心の人を真の仏弟子といへり。
この人を上上人とも、好人とも、妙好人とも、最勝人とも、希有人とも申すなり。

この人は正定聚の位に定まれるなりとしるべし。
しかれば、弥勒仏とひとしき人とのたまへり。
これは真実信心をえたるゆゑに、かならず真実の報土に往生するなりとしるべし。
親鸞聖人御消息 浄土真宗聖典(註釈版)748頁

 

ここまで読んで改めて
泥のなかから清浄の花を咲かせる白蓮華
自ら「いのちの尊厳」を名告る花なのではないのと
思い至りました

お念仏は「いのちの尊厳」の名告(なの)りでしょう
信心の智慧をえてはじめて「いのち」の尊厳に気づくことが

できます

泥のなかに生きる凡夫には濁った眼(まなこ)しかないのかもしれません

見えない泥中には迷いの世界に生きる私たち自身の姿が投影されています


今日の聴聞です