ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

弁円(べんねん)さん

弁円さんゆかりのお寺 大覚寺

板敷山 大覚寺  茨城県石岡市大増3220

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親鸞聖人絵伝 

板敷山で親鸞さまを待ち伏せする弁円さん

親鸞さまのお住まいに向かう弁円さん



親鸞さまにおあいして 後悔の涙を流し 教えを聞く弁円さん

親鸞聖人絵伝は「異時同時画法」で描かれています。これは当時の絵伝の表現方法で

、同じ画面に同一人物が複数かかれていますが、これは右から左へと時間が経過していることを表しています。

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憎しみの連鎖

ウクライナパレスチナにおける戦争の報道を見るたびに心が暗くなります。世のなかとは私自身を含めた世のなかですから、憎しみを連鎖をとめなければならないのは、私自身の問題でもあると思います。
自分自身の内心に潜んでいる憎悪を、自分の力で取り除くことはできるのでしょうか、
弁円さんに聞いてみたいと思います。

山も山 道も昔にかはらねど かはり果てたる 我こころかな

親鸞さまを殺めようとした山臥(やまぶし)の弁円さん(後の明法房)の詠んだ歌といわれています。

阿弥陀さまの誓いを信じる心が深くなると、三毒の煩悩を好んでいる自分の生き方が恥ずかしくなり、その生き方に自ずと変化が生じてくるという意味でしょう。

親鸞さまが常陸国茨城県)におられた頃のことです。親鸞さまの伝道教化活動をこころよく思っていなかった山臥の弁円さんは親鸞さまに強い怨みをいだき、殺めようとして板敷山(いたじきやま)の中で待ち伏せをしましたが、なんど待ち伏せしても行き違いになるばかりで、目的を果たすことができませんでした。

弁円さんにとって板敷山は怨み憎しみの山だったでしょう。

板敷山を出て、稲田の草庵で親鸞さまにであったあと、同じ山道を通って親鸞さまのもとに通うときには、以前は怨み憎しみの山道だったのが、怨み憎しみは消えて慶びの山道に思えてきたのかもしれません。山の木々も、草も花も谷川の水もみんな輝いて見えたのでしょう。

板敷山はなにも変わっていませんが、親鸞さまに遇い、阿弥陀さまの誓いを信じるようになってから弁円さん自身が変わったのです。

お念仏を称え阿弥陀さまの願いを信じる心が深くなると、まわりの平凡な風景が美しく見え、毎日の生活水が八功徳水(はっくどくすい)に思えてくる。平凡な人が尊厳ある人に思えてくる。支えあって生きている人を敬う心が生じてくる。平凡な日常の暮らしが愛おしく思えてくる・・・。

そう考えると弁円さん(明法房)は、私たち自身のこととして味わうことができます。私たちにも怨み憎しみの心が潜んでいます。また、板敷山は私たちが生きているこの迷いの世界(生死の世界)だと考えることもできます。生死(しょうじ)出(い)づべき道を歩まなければならないのは、いまの私たち自身ではないでしょうか。

仏教の説話はそれが事実かどうか詮索する以前に、その物語がどのような精神を象徴しているのかを考えるものなのでしょう。

「心をひるがえす」のも「心を思いかえす」のも、阿弥陀さまの願いの力(はたらき)によるものです。回心(えしん)というのも同じことです。自分の力で嫉(そね)み憎しみ・妬(ねた)み憎しむ心を打ち消すことは容易なことではありません。

その心をひるがえす力は阿弥陀さまの本願力よりほかにはないのでしょう。

親鸞さまはお手紙のなかで、かつては自身の命を奪おうとした明法坊(みょうほうぼう)の往生のことを「明法御房の御往生」と尊敬の意(こころ)をもって記されています。
阿弥陀さまの慈悲心により、弁円さんの心も次第に憎嫉(ぞうしつ)から尊敬の念に変わっていきました。

親鸞聖人御消息 第4通
明法房などの往生しておはしますも、もとは不可思議のひがごとをおもひなんどしたるこころをもひるがへしなんどしてこそ候ひしか。
浄土真宗聖典(註釈版)743頁

意訳
明法房などが往生されたのも、かつてはとんでもない誤った考えを持っていたその心を、思いかえしたからにほかなりません。

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