『連研ノートWith』の作成
私は2007年から2009年までの約2年間、浄土真宗本願寺派福井教区『連研ノートWith』の作成に参加させていただきましたが、その体験は忘れることができません。門信徒や女性の委員も参加し、連研部会の討論は毎回とても白熱しました。
福井別院にタイムカードを置いてほしいと思ったほど通い続けました。時には1泊2日
の会議になったり、次回までの宿題が出されたり、正月返上の原稿提出など学生時代の部活みたいな状況のときもありました。提出した原稿はお互いに検討しあって何度も没になったり書き直したりして、作業は遅々として進みませんでした。
話し合いをしながら、話し合いは聞き合いだということが分かってきました。
問い・聞き・語るという話し合い法座の基本を学ぶことができ、私にとっては忘れることのできない体験となりました。
書かれている内容は社会情勢の変化とともに、改定すべきところもあるでしょうが、基本的な方向性は変わっていないと思います。
今回は先勝(せんかち)・友引(ともびき)・先負(せんまけ)・仏滅(ぶつめつ)・大安(たいあん)・赤口(しゃっく)など、カレンダーの六曜(ろくよう)について書かれている部分を引用いたします。
カレンダーの六曜(ろくよう)
『連研ノートWith スタッフノート』(迷いのもと 習俗・迷信)より引用
浄土真宗本願寺派「御同朋の社会をめざす運動」福井教区委員会伝道部発行
1.六曜とは
私たちの周りには、仏滅の日の結婚式、友引の日の葬式等を気にする人がかなり多く見られます。仏滅や友引などは六曜(あるいは六輝)といって、暦注(れきちゅう)といわれる暦に附けられた注釈の一つです。
婚礼・葬式・建前・棟上・開店・自動車の納車等の、日の良し悪しを判断するために、多くのカレンダーで用いられています。
2.六曜の歴史
六曜は14世紀ごろ中国から伝わり、日本独自のものとして変容しました。呼称も時代とともに変わり、同じ読みをする、別の漢字を当てはめたりしているので、当初の意味とは全く異なっていることもあります。単なる語呂合わせに過ぎません。広く行われるようになったのは、諸説ありますが幕末から明治にかけてのようです。明治になり新暦が使われるようになるまでは、一般にはその存在すらほとんど知られていませんでした。
1872(明治5)年に明治政府が旧暦を廃止し新暦に切り替えましたが、その際迷信に関わる暦注をすべて廃止するよう通達しました。しかしその規制をのがれて、今まで忘れられていた六曜を、新たに記載するようになったといわれています。
3.六曜は、昔から信じられていたのか
つまり、そんなに昔から「婚礼は大安の日」「友引の日は葬式を避ける」という迷信があったわけではないといえます。昔から続いていると思っていたことが、意外にもそんなに古いことではなかったのです。そこには習俗に関する歴史への思い違いがあります。六曜に限らず昔からしていることでも、因果の道理にあわない習俗は見直す必要があります。
六曜は科学的にも全く根拠ない俗信です。合理的な理由がないにも関わらず、現在でも多くのカレンダー、手帳、スケジュール表に掲載されています。
4.政治・暦・占いまた、律令制が整備されてから以降、長い間、暦は朝廷の機関である陰陽寮(おんようりょう)が、ほぼ独占的に制定していました。
その暦には物忌みや方違え(※)等、多種多様な迷信を集めた、六曜とは異なる暦注が、事細かに書かれていました。暦注は、暦をつくるうえで、大きな役割を果たしていたのです。逆に言えば、暦注のための暦だったともいえます。政治と暦と占いとは、もともと密接な関係にあったのです。
無常の命を生きている私たちにとって、一瞬一瞬がかけがいのない大切な時間のはずです。そのような暦に、支配され振りまわされているとしたら、なんとも愚かなことです。
語注(※)
物忌(ものい)み:ある期間、飲食・行為をつつしみ、身体を浄め、不浄を避けること。
方違(かたたが)え:陰陽道(おんようどう)の俗信。他出する時、天一神(なかがみ)のいるという方角に当たる場合はこれを避けて、前夜、吉方(えほう)の家に一泊して方角をかえて行くこと。(「広辞苑」による)5.み教えと迷信
自らのあり方を問うこともなく、根拠のない不安に振りまわされているのは、
親鸞聖人が
かなしきかなや道俗の 良時・吉日えらばしめ 天神・地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす 『悲歎述懐讃』註釈版聖典618頁 といわれたように、浄土真宗のみ教えに反することです。
6.旧暦・新暦と六曜
旧暦のうえで、六曜は先勝→友引→先負→仏滅→大安→赤口の順で繰り返しますが、月の終わりでその循環が止まります。また、毎月1日の六曜は固定されており、1月1日は先勝、2月1日は友引、3月1日は先負・・・という、上記の順序に振り当てられます。つまり、旧暦では月日により六曜が決まることになります。
旧暦が用いていた時代では、規則的に割り振られた六曜は、何の不思議さもなく、そんなに注目されるものではありませんでした。ところが、明治5年から現在まで用いられている新暦では、規則的な循環が突然途切れたり、同じ日の六曜が年によって、月によって異なっていたりします。
このことが、一見神秘的な印象を与えています。しかし、新暦に旧暦を重ねたときに、新暦と旧暦との間にズレが生じ、その結果として当然おきることであり、少しも不思議ではありません。7.六曜の一般的な解釈
(意味の解釈は様々で、どれが正しいという基準はありません)
◆先勝(せんかち)
先んずれば即ち勝つの意味。万事に急ぐことが良いとされる。午前中は良く、午後は悪いといわれる。
◆友引(ともびき)
友を引くの意味。葬式には悪い日とされる。かつては勝負事で何事も引分けになる日、つまり「共引」とされており、現在のような意味はなかった。
◆先負(せんまけ)
先勝の反対で、先んずれば即ち負けるの意味。万事に平静であることが良いとされ、勝負事や急用は避けるべきとされる。午前中は悪く、午後は良いという。
◆仏滅(ぶつめつ)
1日中悪い日とされる。もともと中国では空亡(くうもう)など表現しており、現在の意味とは全く異なっていた。空亡を虚しいという意味に解釈して物滅と呼ぶようになり、近世になって仏滅の字が当てられた。
◆大安(たいあん)
六曜の中で最も良い日とされる。結婚式は大安の日に行われることが多い。
◆赤口(しゃっく)
正午前後が良く、それ以外は悪いとされる。
『連研ノートWith スタッフノート』浄土真宗本願寺派福井教区発行は福井教区教務所で購入できます。
親鸞聖人の言葉
1.悲歎述懐讃 註釈版聖典618頁
かなしきかなや道俗(どうぞく)の
良時(りょうじ)・吉日(きちにち)えらばしめ
天神(てんじん)・地祇(ちぎ)をあがめつつ
卜占祭祀(ぼくせんさいし)つとめとす
なんと悲しいことであろう。
出家のものも在家のものも、日の良し悪しを選び、
天地の神々を崇(あが)めながら、
占いや祈祷(きとう)を日々のつとめとしている。
『浄土真宗聖典 三帖和讃 現代語版』本願寺出版社みづから仏(ぶつ)に帰命(きみょう)し、
法(ほう)に帰命(きみょう)し、
比丘僧(びくそう)に帰命(きみょう)せよ。
余道(よどう)に事(つか)ふることを得(え)ざれ、
天(てん)を拝(はい)することを得(え)ざれ、
鬼神(きじん)を祠(まつ)ることを得(え)ざれ、
吉良日(きちりょうにち)を視(み)ることを得(え)ざれ。
進んで仏(ぶつ)・法(ほう)・僧(そう)の三宝に帰依するがよい。
仏教以外の教えにしたがってはならない。
天の神々を拝んではならない。
鬼神を祭ってはならない。
日の善し悪しを選んではならない。
『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類 現代語版』本願寺出版社