ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

  悲しみを超えて

白蓮華(びゃくれんげ)

 

1.浄土和讃 讃弥陀偈讃
たとひ大千世界に  みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名(みな)をきくひとは ながく不退にかなふなり

浄土真宗聖典(註釈版)560頁

意訳
たとえこの世界が煩悩の炎に包まれようとも、南無阿弥陀仏の喚(よ)び声を聞き、悩みや不安のただなかを通り過ぎて往く人たちは、決して迷いの世界に退くことなく、支えあう聚(なかま)とともに浄土に通じる道を一歩、歩みだすことができるのです。
 
語句
不退転(ふたいてん)  
人生の方向が定まること。煩悩に束縛された世界を離れ、同朋とともに束縛から解放された世界に一歩踏み出すことです。悩みや不安のまっただ中に浄土への道が開けてきます。

この和讃を味わうきっかけになったできごとがあります。人生には転機がありますが何かのきっかけで生き方が変わることがあります。

2.母の死

①突然の死

平成11年2月のことですが、母が73歳で突然亡くなりました。当時は自営業を営んでいましたが、夕方妻から電話がありました。

「お母さんが亡くなった」

慢性腎炎で10年間人工透析に週3回通っていたのですが、そんなに突然誰にも看取られることもなく、急死するとは全く思ってもいないことでした。

青天の霹靂、驚天動地とはまさにこのことです。ただ呆然とするだけでした。喩えていうなら、高速自動車道路を自動車で走っていたら、急に道路が途切れていて絶壁だったというような心境。

突然のことだったので、心の準備もできなくて大変なショックでした。その他にもいろんなことが重なり、精神的にとてもつらい辛い状況に追い込まれていきました。

なぜもっと早く気が付かなかったのだろう。どうして助けることができなかったのだろう。もっと優しい言葉をかけていれば・・・。慢性腎炎で人工透析をしていましたが晩年はとても辛い様子でした。だけど私は住職としての仕事、自営業、そして子育てなどで精一杯。

あんなに病気で苦しんでいたのに、もっと他の治療方法もあったのではないか。次から次へと後悔の思いや自責の念が込み上げてきます。
その思いは母の死から25年を過ぎた今でもあります。

②葬儀

葬儀当日

葬場勤行

出棺直前

葬場に向かうところ

葬儀は残雪のあるとても寒い日でした。住職なので寺を離れることができず他の家族が火葬場で収骨しました。お寺ではお骨が戻ってくるときに梵鐘を撞きます。その梵鐘はどうしても私自身が撞きたくて、寒風の吹くなか心の中で泣きながら梵鐘を撞きました。

還骨勤行の時 座っていることもできず 前方にかがみ込んでいます

 

お骨が戻ったあと本堂で親族とともに還骨の勤行を勤めます。寒さと心労が重なり発熱してとても座っていることができなくかがみ込んでしまいました。親族が心配して休むようにと言うのでしばらく休みましたが熱は下がらず、病院へ行き点滴をすることに。疲労困憊の葬儀が終わりました。

③自責の念

あとで分かったのですが、人は大切な人をなくしたときにさまざまな感情が交錯します。喪失感・苦悩・恐れ・否認・絶望・不安・怒り・体の不調・うつ・悲しみ・後悔・罪悪感・混乱・ショック・喪失感・自責の念など。

だけどそれは誰にでもおきることなのです。

一般には「元気をだして」など一方的に励ます言葉は好ましくなく、助言や他人との比較もよくないといわれています。大事なのは、必要な時にそばにいると伝えることだといわれています。そんなことを身をもって体験しました。

私はもともと、とても弱い人間です。いやなことからは逃げたいと思ってしまいます。
それは現実逃避です。長く自責の念にさいなまれているとき一冊の本にであいました。
『悲しみを超えて』キャロル・シュト-・ダッシャー著。
  
3.悲しみを超えて
キャロル・シュト-・ダッシャー著

『悲しみを超えて』キャロル・シュト-・ダッシャー著

悲嘆の中にいる間は、部屋に引きこもって、無力感と絶望にさいなまれる日があるかと思えば、次の日には、ショッピングに六時間も費やして、猛烈な勢いで用事を片づけることもあります。

自分の人生を恨めしく思う日があれば、その翌日には将末のプランを立て希望の灯をともしています。長い良い間、どうしようもない苦悩と罪悪感にさいなまれる人もいます。

まともにやっていけるようになるまでに、山ほどの疑いや不安や恐れと闘わなければならない人もいます。

いちばん重要のは、あなたもあなたをとりまく状況も他に同じものは一つとしてないこと、みなそれぞれ異なるのだから、なるのだから、あなたの悲嘆のプロセスにも、悲嘆から抜け出して癒し至るプロセスにも、一定のパターンを当てはめることはできなということです。

けれども、ただ一つ、すべての人に必ず当てはまることがありのます。それは「悲しみは避けて通ってはならない」ということです。これからの人生を有意義に送るためには、悲しみをやりすごすのではなく、悲しみと真正面から向き合い、悲しみのどまん中を通り抜けなければなりません。

悲しみを通り抜けるためには、悲しみ理解すること、悲しみについての知識をもつこと、そして誰かの助けが必安です。

中略

あなたもいつかきっと。悲しみと真正面から向きい、悲しみのまっただ中を通って、向こう側へと突き抜けられます。
「元の自分には戻れなくても、大丈夫、やっていける」と言える、今までとは違う自分になってまた新しい一歩を踏み出せるようになります。

 

4.母の遺言

①願いをよりどころとして生きる

本を読むと思いあたることばかりでした。この苦悩をどうしたら解決できるのか悶々としていましたが、あるとき母の言葉を思い出しました。本に書かれてている「誰かの支え」とは母の言葉でした。

母が急死した当日の朝、仕事に行く途中、私はいつものように母を病院まで送っていったのですが、そのとき母がこんなことを囁くように言っていました。

「今まで聞かせてもらった(聴聞した)ことはしっかり胸におさまっている」

これが母から聞いた最後の言葉です。この言葉に救われました。

どんなに悲しくてもこの言葉を支えとして生きることができる。阿弥陀さまの願いをよりどころとして前に進むことができる。深い闇のなかに浄土への道が開けてきました。

悲しみと真正面から向きい、悲しみに共感し、悲しみのまっただ中を通って、浄土へと突き抜けられる不退転(ふたいてん)の道です。悲しみのままが慶びとなる、苦悩から解放される道です。

②遺族の悲しみに共感

自分自身の体験をふまえ、ご門徒の葬儀や中陰法要を営むときも、遺族の思いをくみとり、丁寧な法要にしたいと思います。そして故人を偲び、遺族の思いを丁寧にお聞きしたいと思っています。

5.聚(なかま)とともに
浄土和讃の言葉が心底から響いてきました。

私一人ではなく多くの同朋(どうぼう)とともに、再び迷いに世界に後戻りすることない道を、一歩前に歩み始めることができます。

どこまで到達したのかは問題ではありません、支えあう聚(なかま)とともに浄土への道を一歩前に歩みだすことが救いです。

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