ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

此岸(しがん)から彼岸(ひがん)に往(ゆ)く道

此岸(しがん)から彼岸(ひがん)に往(ゆ)く道

二河白道の絵図



親鸞聖人 一念多念文意(いちねんたねんもんい)
原文
凡夫(ぼんぶ)といふは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらが身(み)にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、水火二河(すいかにが)のたとへにあらはれたり。
浄土真宗聖典(註釈版)693頁

 

意訳
凡夫というのは、私たちのような平凡な人のことをいうのですが、まことの智慧(ちえ)がない愚かさがその身のすべてにみちみちて、欲も多く、怒りや腹立ち、そねみ・ねたむ心が一時も止むことなく湧いてきて、息の絶えるそのときまで、とどまることはなく、消えることも絶えることもないと、善導大師(ぜんどうだいし)は水火二河(すいかにが)のたとえにあらわされています。

 

※西の彼岸に立つのは阿弥陀如来、東の此岸には巻物が画かれていますが釈迦如来ご入滅のあと教えが経典として残っているので経典(巻物)が画かれています。 

二河白道のたとえ
西岸は彼岸(ひがん)すなわち阿弥陀如来の安楽浄土・覚りの世界。 
東岸は此岸(しがん)すなわち私たちの世界・迷い苦しみの世界。

水河の水は私たちの貪りや執着の心をあらわしています。
火河の火は私たちの怒りや憎しみの心をあらわしています。

私たちの内心には人間の理性分別では制御できない心が潜んでいます。

白道(びゃくどう)は貪りや執着、怒りや憎しみの心のなかに清らかな信心がおこることをあらわしています。阿弥陀如来の意から開かれた道。

道を歩むのは仏弟子・念仏者。信心の定まった人。道を一歩踏み出すとき不退転の位につき決して後戻りすることはありません。

お仏壇

 

お仏壇
お仏壇の荘厳は彼岸(ひがん)で阿弥陀仏の願いを象徴している世界ですが、仏前の私たちのいるところは、老病死や人間関係の苦悩の現実に直面している此岸(しがん)の世界です。彼岸があるから此岸のありようが問われてきます。
彼岸は此岸を照らす無量の智慧(光)の世界です。

此岸(しがん)から彼岸(ひがん)へ
お念仏を称え、阿弥陀さまの呼び声とお釈迦さまの言葉に順(したが)い、此岸(しがん)を厭(いと)い離れて彼岸(ひがん)に往き生まれ、阿弥陀さまと同じ覚りを得るのが真(しん)の仏弟子としての生き方です。

 

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