ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

話し合い法座

安城御影(あんじょうのごえい)

5月21日 今日は何の日
太陽暦の5月21日は親鸞さまの誕生日です
太陰暦では4月1日
1173(承安3)年に生まれられたので
今年は850回目の誕生日になります

そんなことを考えながら

5月20日 長年ご縁をいただいている寺院の法座に
寄せていただきました

布教活動からは退いたのですが

時折 自分自身の学びのために寄せていただくことがあります

一方通行の法座ではなく 久しぶりの話し合い法座
進行はご住職 時間は約1時間

門徒の方もご住職も私も座ったままです
私の装束は布袍輪袈裟(ふほわげさ)に念珠
黒板を使うのは最小限度にしました

「途中で話の腰を折ってもらってもかまいません」
「どんなことでも話してください」と前置き

考えてみると

「問い・聞き・語る」そんな法座で
耳の底にとどまることを記されたのが
歎異抄でしょう

今回の話しは
親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の意味」
をテーマとしました(前日に決めました)
決まった結論が用意してあったわけではありません

法座の進め方も開始直前に ご住職と簡単な打合せをしたのみ

臨機応変でありライブです 
私の場合いつもライプです 同じ話は二度とできません

今回は

正像末の三時、末法五濁、化身土文類、正像末浄土和讃
などを念頭に話しを進めました

あとは京都国立博物館親鸞 生涯と名宝」の公式図録を
参加者が閲覧しながら感想を話したり・・・

ご住職や参加者が日頃から思っていることを話したり・・・

参加者のなかには福井教区連研ノート作成の時
ともにスタッフとして参加した門徒推進員の方もおられ
あの時はとても充実した時間を過ごすことができたと
お互いに感謝しあったりしました

連研ノート作成当時は

約2年間かなり白熱した討論をしましたが
あの時学んだことは生涯の宝です

ふり返ってみると
今まで福井教区の多くの門徒推進員と知己を得て
幾度となく真剣に話し合い
どれだけ多くのことを学んできたことか
門信徒と僧侶がともに同じ目線の高さで
学びあい敬いあう
そんな信頼関係をこれからも模索したい・・・

一時間の法座があっという間に過ぎてしまいました
「ちょっと話しすぎたかな 次の時は話さないようにします」
帰るときそんな挨拶をしました

自宅に帰ってから今日の法座をふり返りました
今サミットが広島で開かれているけれど
お互いに対立する人間関係をいとい
お互いに敬いあう人間関係をねがう
御同朋(おんどうぼう)の普遍的な人間関係が
いまの世のなかに一番必要なものではないだろうか・・・

夜が更けても 親鸞さまとふたりの法座がつづきます

2023.05.21 0.32

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『親鸞-生涯と名宝』特別展を見て

特別展案内

京都国立博物館

京都国立博物館 平成知新館

京都国立博物館 平成知新館

京都国立博物館親鸞聖人生誕850年特別展
親鸞-生涯と名宝』の展示会を見に行きました

5月連休明けにもかかわらず
かなり多くの人々で賑わっていました

平成知新館の3階から始まり
多くの部屋に分けて展示してある宝物を
案内に従って順に見ながら進んで
2階・1階へと降りて行きました

音声案内を聞きながら拝観する人も多く
かなりゆっくりと進むことになりました

今回私が拝観するのにかかった時間は約3時間
何回も見に来ている人もおられるようです

車いすを押しながら 車いすに乗った方に

展示物の説明をされている方も見かけました

今までこのような特別展には3回行ったことがあります

親鸞聖人750回大遠忌記念『本願寺展』 
2009年 石川県立歴史博物館

親鸞聖人750回忌 真宗教団連合40周年記念
親鸞展 生涯とゆかりの名宝』 
2011年 京都市美術館

親鸞と福井
真宗の美』
2014年 福井県立美術館

図録も今回の分をあわせて4冊

 

4回の拝観で重複しているのもありますが
かなりの宝物を実際に見ることができました

今回の展示は過去3回と比較して
展示数も貴重な宝物もかなり多く
とても充実した内容でした

特に今回見たかったのは
拝観順でいえば終わりの方になりますが
1階に展示してあった
教行信証の坂東本(大谷派 国宝)・高田本(重文)・西本願寺本(重文)です
この教行信証三本が
同時に展示されることは今までにはありませんでした

私も坂東本は見たことがありますが
高田本(重文)・西本願寺本(重文)は初めてです

開いてあった箇所は
高田本
真仏土文類   註釈版聖典336頁~337頁
化身土文類後序 註釈版聖典471頁

坂東本
化身土文類   註釈版聖典417頁
化身土文類後序 註釈版聖典471頁10行目以降  

本願寺本    
真仏土文類   註釈版聖典336頁~337頁
化身土文類後序 註釈版聖典471頁

他の方の話しを聞くと
開いてあるページは今まで2回ほど変わっているとのこと

私自身は化身土文類後序が一番見たかったところなので
何度も繰り返して見ました

親鸞聖人はなぜ教行信証を著されたのか
その鍵はやはり化身土文類の後序にあるように思います

 

坂東本は親鸞聖人が書かれた草稿本で
いたる所に推敲のあとが見られ
訓点・角点もしるされています

また墨で消されたあとをみると

どのような課程を経て著されたのかが分かります

一文字が違っても文脈がまったく異なった意味になる事もあり

一文字の重さが感じられます

 

高田本は顕智さんが書写したものですが

書写とはいえその文字を見ると

顕智さんの真面目な仏弟子としての姿が思い浮かびました

 

親鸞聖人ご在世当時は限られた人しか

書写を許されなかった教行信証を今ではだれでも

読むことができます

とてもありがたいことです

 

展示の最後は
『鏡の御影』と親鸞聖人自筆の六字名号
『鏡の御影』を見たのは今回で2回目

前回は団体参拝であり
ゆっくり見ることはできませんでしたが
今回は時間をかけて見ることができました

そして六字名号の前でお念仏を称え合掌礼拝

以上が今回の拝観概要です

今後、4冊の図録を見ながら
親鸞聖人の生涯と言葉を味わっていきたいと思っています

 

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吉崎を訪ねて その2

本願寺吉崎別院の蓮如上人御忌法要にお参りしました

導師をされたご輪番には
福井教区教区委員会・布教団で随分お世話になり
とても感謝しています

職員のTさんはいつも別院の護持に尽くしておられます
今日は久しぶりに顔を見ただけで大満足です 
とても嬉しかった

本堂に入ってまず目にしたのは
法要の収録されているMさんの姿
先日 響流書房から発行されたばかりの冊子
蓮如上人御旧跡縁起 令和のお味わい』を送っていただきました
収録の邪魔をしないように声かけはしませんでしたが
感謝しています「ありがとうございます」

勤行が終わって後席の方から声をかけられ振り向いてみれば
なんと布教使のHさんご夫妻
ここでお会いできるとは思いませんでした

法話では聴聞の大切さをお聞きしました
連休で行楽地に行くよりも
歴史ある本堂のなかで静かに手を合わせるほうが
心が落ち着きます
扉を開けたままなのでお山の風が通り抜けます

先日オープンしたばかりの道の駅「蓮如の里 あわら」も
多くの人で賑わっていました

吉崎別院にはなんどもお参りしたいのですが
自宅を離れることが難しい事情もあり
思うようにいきません

本願寺吉崎別院はもちろんですが
吉崎の地が繁昌することを思いながら
帰途につきました

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吉崎を訪ねて その1

蓮如上人が吉崎におられた文明年間、この地にはどのような人々が集まって、どのような風景を見てきたのでしょうか。

この時代は応仁・文明の乱のただなかであり、中世史のなかでも歴史的大飢饉といわれている、1461年の長禄・寛正の大飢饉では、越前でも数多くの人が餓死したと記録されています。

村の原型である惣村ができ、各地で講が形成されたのもこの時期です。詳しく知りたい人は真宗史の本を読んでください。このころには農業技術も随分進歩したようです。

また下剋上の時代で、戦国時代が幕を開けようとしている時代でもあります。この地に集まった人のなかには、戦乱や大飢饉を経験した人も、多くいたのではないかと考えます。多くの苦悩を持ちながら救いを求めていたのでしょう。

この地に集まったのは百姓ですが、中世で百姓というのは百の姓ということで、農民だけでなく、あらゆる職業の人達ということです。農民・大工・左官・鍛冶屋・漁をする人・商人などさまざまな職業の人や、その家族が集まったのでしょう。

当時の暮らしについて、詳しく知りたい人は「福井県立朝倉氏遺跡資料館」に行けば分かります。吉崎の歴史と朝倉氏の歴史は同時代で重なっているからです。

例えば「バンドコ」というものがあります。中に炭火を入れて使用するものですが、昭和30年代ぐらいまで使用されていて、私も使っていました。また、除雪の際に使用する「ばんば」も昭和30年代ぐらいまで使っていました。

吉崎にいた人々も当然使っていたと思われます。そのような日用品をつくる職人さんも多く集まっていたでしょう。

私の住む地区には春になると三椏(ミツマタ)の花が咲きます。その椏(ミツマタ)の樹皮は加工されて越前和紙の原料になるそうです。もしかしたら、ただ花が美しいから育てたのではなく、和紙職人さんに原料を提供することで、生計が成り立っていたのかもしれません。地域誌の『文殊山とかたかみ』を読んで、そのようなことを想像しました。

その越前和紙を原料として、当時開版された正信偈が製本されたのかもしれません。御文章も同じことです。越前和紙の流通には『正信偈』や『御文章』を読む生活習慣がふかく関わっていたことも考えられます。

正信偈を開版するにしても、三椏(ミツマタ)を育てる人はもちろんのこと、和紙をつくる職人さん、版木を彫る職人さんがいなければできません。さらに製本する職人さん、流通させる商人も必要です。

私たちがいま見ている三椏(ミツマタ)の花の背景には、さまざまな人々の歴史があるようです。さらにその背景一つ一つにもまた無数の背景があります。そして、それぞれの背景は幾重にも重なり合っています。その幾重にも重なり合った背景を見ていくことが縁起を見ることになります。

吉崎に集まった百姓たちによって、お念仏が伝えられてきました。

人間の思慮分別を超えた、網の目のように深く重なりあう背景を、経糸(たていと)で紡(つむ)いできたのが、お念仏なのかもしれません。

当時、吉崎に集(つど)った人々と、今の時代に生きている私たちは、お念仏という真実の経糸(たていと)で確かにつながりあっているようです。

「南井の堰堤の上に、この地域で木の実(アブラギリ)や紙の原料になるミツマタ・コウゾの栽培が行われたという掲示がある。アブラギリは隣接の廃村になった三峰や河和田地区でも明治の中頃まで栽培した記録がある。-中略-ミツマタ・コウゾなど紙の原料は昔から製紙業を続けている岡本に売られたものと考えられる。」

文殊山とかたかみ』

写真は2018.08.07~08.09吉崎別院報恩講で布教のご縁をいただいた際に撮影しました。

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お念仏の暮らし

鐘楼

毎日 夕方5時30分に梵鐘(ぼんしょう)を撞(つ)きます
時間厳守ではないのですが・・・

今日はご門徒の方が
5歳と3歳の孫さんを連れて来られました

時折来られます

まだ撞(つ)くのは恐いので近くで見学
2人ともとても笑顔が可愛い子です

小さな子から
「ごえんさん」と呼びかけられると
無条件に嬉しくなります

門徒さんも私も小学生の頃
鐘楼の柱に登ったり
ぶら下がって遊んだ世代
そんなことを話しました

あわただしい日常の暮らしですが
その時ばかりはゆっくりと
時間が流れいているようでした

これも法座だろうと思います
いまはむしろ
このような法座が好きです

この子たちが安心して暮らせる
世のなかになってほしい

お念仏を称えながら
そんなことを願わずには
おられませんでした

梵鐘の銘文は 南無阿弥陀仏

あたたかな余韻が響いています

合掌

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お仏壇

ご本尊

お仏壇(お内仏)

 

お仏壇には毎日お参りします。嬉しいときも悲しいときも。

法要や命日だけではありません。
入学、卒業、入園、卒園、就職、退職、転勤、出会い、別れ
入院、退院、結婚、結婚記念日、誕生、成人式、旅行など、
日々のできごとをふり返る場所でもあります。

人間関係や病気などで悩んだときも、

都合の良いときも、都合の悪いときも、

阿弥陀さまの願いを究極の依り処として、

愚かな自分自身を静かにふり返ります。

誰にとっても安心できる居場所がお仏壇の前です。

また、いただき物や誕生祝のケーキなどもお供えしてから、
お下がりをみんなで分けていただきます。
そうすれば小さな子にとっても嬉しい・楽しい場所になります。

そしてお念仏の声が、

いつまでも忘れられない心の記憶となるでしょう。

 

金子みすゞさん 「お仏壇」

お背戸(せど)でもいだ橙(だいだい)も
町のみやげの花菓子も、
佛さまのをあげなけりゃ、
私たちにはとれないの。

だけど、やさしい佛さま、
ぢきにみんなに下さるの。
だから私はていねいに、
両手をかさねていただくの。
・・・・・

 

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啓蟄(けいちつ)のころ

ツマグロヒョウモン

3月6日は啓蟄(です)

啓は「ひらく」、蟄(ちつ)は「土中で冬ごもりしている虫」の意味で、大地が暖まり冬眠していた虫が、春の訪れを感じ、穴から出てくる頃のことをいいます。

私は花と同じように小動物や虫を観察したり撮影するのが好きです。

親鸞さまの顕された『教行信証』には
諸天(しょてん)・人民(にんみん)・蜎飛(けんぴ)・蠕動(ねんどう)の類(たぐい)、我が名字を聞きて慈心(じしん)せざるはなけん」 と書かれています。
浄土真宗聖典(註釈版)143頁

諸天・人民とは人間など、蜎飛(けんび)とは飛びまわる小虫、蠕動(ねんどう)は地にうごめく虫のことです。

阿弥陀如来
「人間だけではなく、このような小さな生きものも、私の名号を聞いて、喜び敬う心をおこさないものはないであろう。このように喜びにあふれるものをみなわが浄土に往生させたい」と誓われているのです。

思えば私たちはずいぶん人間中心です。人間だけの救いを考えるのは傲慢(ごうまん)のような気がします。十方衆生にはこのような小さな生きものも含まれています。身近に生きる小さな仲間を大切にする。いのちの共感、そこからいのちの共育が始まるような気がします。

いきものがかり」の仕事が増えそうです

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親鸞さま生誕の場所

親鸞さまは承安3(1173)年にお生まれになりました。
今年は生誕850年になります。
約400年間続いた貴族中心の平安時代が終わり、
その後約700年間続く武士の時代が始まろうとしている大変革の時でした。

日野誕生院には9歳出家の折に詠んだといわれる歌の石碑があります。
「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」

誕生院保育園の内には親鸞さまの「へその緒」が埋められているという胞衣塚(えなづか)や産湯の井戸、田上菊舎(たがみきくしゃ)の句碑などがあります。

京都市伏見区日野西大道町

 

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流罪の旅 方上荘(かたかみのしょう)

福井県鯖江市舟枝町には親鸞さまのご旧蹟『三度栗』があります。舟枝町は現在鯖江市中川地区ですが、当時は方上荘(舟枝・橋立を含む片上地区)であったと推測されます。

伝承が史実かどうかを詮索する必要はないでしょう。しかし方上荘(かたかみのしょう)を通られた可能性はあると思います。当時の北陸道がどこを通っていたのか検証しなければならないのですが・・・。

親鸞さまは35歳のときに承元の法難にあい、流罪のなかでも最も重い遠流(おんる)になりました。流罪の途中この方上荘を通られたときに、人々はどのような暮らしをしていたのかを想像しています。

年貢を納めるのに精一杯で日々の暮らしに追われている庶民にとって、お念仏を称えて平等に救われる教えは驚きだったことでしょう。

当時の仏教は鎮護国家の仏教で国家とは国民ではなく貴族などの支配者層を示していました。また大寺院も広大な荘園を有する大領主でもありました。現在私たちが想像する寺院とは大きな隔たりがあります。

余談ですが越前の平泉寺や豊原寺も延暦寺の末寺でした。

方上荘(かたかみのしょう)は殿下渡領(でんかわたりりょう)という藤原氏氏長者が代々継承する直轄の荘園でした。興福寺春日大社とも深い関係があります。

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ご旧蹟 三度栗1

 

ご旧蹟 三度栗2

 

ご旧蹟 三度栗3-1

 

ご旧蹟 三度栗3-2

ご旧蹟 三度栗4

ご旧蹟 三度栗5

ご旧蹟 三度栗6

ご旧蹟 三度栗7

ご旧蹟 三度栗8

 

子木を移植した鯖江市大谷公園の『三度栗』

子木を移植した鯖江市大谷公園の『三度栗』の案内




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知恵(ちえ)と智慧(ちえ)

                           知恵(ちえ)と智慧(ちえ) 

人間の知恵(ちえ)と仏教の智慧(ちえ)
分断の本質 人間関係を分断するもの・その本質を考える

1.人間の知恵 比較するちえ

本当の豊かさとは
お釈迦さまや親鸞さまの生きられた時代の暮らしと、現代に生きる私たちの暮らしはは大きな違いがあります。効率性や利便性においては大きく変化しました。

しかし、よく考えてみると昔も争いはあり現在も争いはあります。昔は刀や弓矢を武器として使用していたのが、現代では核兵器・ミサイル等を武器とした争いになっています。人間は本当に豊かになったといえるのでしょうか。

本質的な愚かさ
人間の本質は少しも変わっていないようです。その人間の本質的な愚かさを見つめていくのが仏教です。決して死後の世界だけを問題としているわけではありません。

人間関係の問題
今を生きる私たちの関係性を問題としています。人間とは人間関係のことです。私たちの人間関係は上下、強弱、優劣などの関係性になっているのではないでしょうか。その自己中心的な関係性が苦悩の原因となっているようです。

人間の知恵
私たちが日常の暮らしでさまざまなことを学びますが、その人間の知恵を分別智(ふんべつち)といいます。

比較をする知恵
知識を増やし理解する。そして得た知識に基づいて一つ一つのものごとを分別し、比較をします。比較した結果に基づいて正しく判断しようとする。これが分別智というものです。より多くの知識や情報を得て、より多く記憶し、より早く理解し分別することが求められます。
そこでは資質・能力の違いが生じ優劣が判断され、常に比較がともないます。

自分中心の知恵
また問題なのは、分別するのも比較するのも判断するのも、無意識のうちにすべてが我に執着して、自分中心の狭い世界のなかで比較・判断しているということです。分別心は人間の本能に基づくものです。

春秋を識(し)らない蝉(せみ
そのうえ、自分中心の狭い世界という認識もまったくありません。智慧がない愚かな私たちは、すべてのものごとが一つの如くつながりあっている、広大な世界が見えないからです。
春秋をしらない蝉(せみ)は今が夏であることもしらないのと同じです。そのことを無明(むみょう)といいます。私たちも蝉(せみ)なのです。

正義の危うさ
善悪、優劣、上下、強弱、損得、正邪、尊卑など、自分にとって都合のよいことが善であり正しいと判断しようとします。我に執着し、自分にとって都合のよいことを是とし、自分にとって都合のわるいことを非として排除しようとします。
正義を確信する思いが強いほど邪悪を許せなくなり憎しみが生じます。無明(むみょう)という酒に酔っている凡夫に真実正しい道理(義)は語れません。

苦しみの根本
人間の理性分別(りせいふんべつ)・思慮分別(しりょふんべつ)には限界があります。
仏教ではこの分別心が苦しみの根本であるとしています。


分断する刃(やいば

分別・判断について『字統 普及版』白川静著に次のように書かれています。
①分                       
八と刀とに従う。八はものが両分する形。刀でものを両分する意。分は肉を分かつ形とみてよい。
②別                        
骨節のところを刀で分解する意。すべてのものを分離解体し、区分区別する意に用いる。     
③判  
判は刀を加えて両分の意を示す。
③断                         
斤(おの)を加えて糸を切断することを断という。

根本的な愚かさ
これらをみていくと、人間の分別心は刀(やいば)を加えてつながりを分断しようとするものだということのようです。分断(ぶんだん)が苦を生みますが、それは現代に限ったことではなく、人間が本質的にもっているものだといえます。そして我執の故にその自覚も全くありません。それが根本的な愚かさなのでしょう。

いのちの選別
日常の暮らしでは分別心なくしては生きていくことができません。しかし分別してはいけないものがあります。それは「いのちの尊厳」です。生まれ・性別・職業などて優劣、尊卑、上下に分別することは「いのちの選別」になります。

いのちのつながりが分離解体されるとき、人は使い捨ての部品(歯車)となり、生産性や資質・能力の有無で、生きる価値そのものが判断されるようになります。また人を労働力という消耗品として考えることも同じですが、それはとても危ういことです。


2.仏教の智慧 
  比較する量(はかり)が無い智慧(ちえ)

無分別智(むふんべつち)
仏教の智慧とは、知識・記憶・理解の対象になるものではありません。
人間の知恵(分別智)に対して仏陀(ぶつだ)の智慧(ちえ)を無分別智(むふんべつち)といいます。

平等の智慧(ちえ)
我執を離れて、あらゆるものごとを、お互いに連続してつながりあっている縁起をみる智慧です。我執がないのですべてを偏(かたよ)ることなく平等にみることができます。

自他一如(じたいちにょ)
そのような世界のことを自他一如(じたいちにょ)とか生死一如(しょうじいちにょ)といいます。
一如の如とは「ごとし」ということです。一つだと断定はできないが、不二(ふに)であり二つでもない、一つのようだという意味で、換言すれば言葉では表現できないということになります。
一如と不二は紙の表裏の関係で、同じことを表現しているものだろうと考えます。一如だといえば一如に執着し、不二といえば不二に執着するのが私たちですから、どちらとも断定できないこのような表現になるのではないでしょうか。「~に非ず、~にも非ず、~にも非ず・・・」というようなことになります。

比較がない
自他一如(じたいちにょ)とは、自(私)と他(私以外の他・生きとし生けるものすべて)が、分けることができない不可分の関係であるということです。敵味方に分けることもできません。
分けることができないというより、分けることが無意味であるといったほうが適切かもしれません。比較することも無意味です。
適切な譬えかどうか分かりませんが氷が融けて水になった時、水を元の氷のように分けることが無意味であることと同じです。

はかりなし  量(はかり)の無い世界
無量(むりょう)という言葉がありますが、一つにつながりあっているから比べる量(はかり)が無いことになります。量(はかり)で比べることが無意味であるということだと味わっています。計(はか)らい・思慮分別(しりょふんべつ)を超えた世界があります。

智慧と慈悲
私たちが浄土に往生し、成仏して仏陀(ぶつだ)になるというのは、この無分別智(むふんべつち)を得るためです。そして阿弥陀如来智慧こそが、あらゆる諸仏の智慧を集めた究極の智慧だといわれます。
無分別智(むふんべつち)を得ると大悲心が発(おこ)り迷いの衆生を救うことになります。

衆生とともに往(ゆ)く
成仏するということは自分一人の救いでは、完結できなくなるということです。十方衆生が救われなければ、私自身のすくいも完結しません。そのような世界を衆生とともに願って往(ゆ)く、そのこと自体が救いなのでしょう。
それも阿弥陀如来から回向(えこう)された心です。思えば自分一人の救いを望んでいたのも自己中心でした。

智慧にみちびかれて
分別心は苦悩の根本にありますが、自分で取り除くことはできません。自分で自分の眼を見ることができないのと同じです。阿弥陀如来智慧に導かれたときのみ苦悩の根本を解決できます。

南無阿弥陀仏智慧の名号(みょうごう)
言葉で表現できない世界から、唯一言葉となって届いているのが南無阿弥陀仏智慧の名号です。分別心をなくすことはできませんが、智慧の名号を拠(よ)り処としたとき苦悩の世界を離れ、衆生とともに喜びを分かちあえる真実の世界に往くことができます。

智慧南無阿弥陀仏に導かれて生きるしかありません。


南無阿弥陀仏智慧の名号(みょうごう)
唯信鈔文意
 浄土真宗聖典(註釈版)701頁


※以上記したことは私自身の味わいであり間違っているかもしれません。    

 

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親鸞さまご往生の場所

ご往生
親鸞さまがご往生された弘長2年11月28日は
太陰暦(旧暦)で表したものですが、

太陽暦新暦)で表すと1263年1月16日となります。

本願寺派では太陽暦新暦)のご命日にあわせて
御正忌報恩講を勤めています。

京都・西本願寺の御正忌報恩講
親鸞さまのご遺徳を偲んで
1月16日までの7日間執り行われます。

親鸞さまは90歳でご往生されました

 

ご往生の場所は
親鸞さまの弟・尋有(じんう)の坊舎・善法坊(ぜんぽうぼう)ですが、
善法坊の場所については諸説があります。

尋有の坊舎・善法坊跡
現在の御池通柳馬場
京都市中央区柳馬場通御池上がる虎石町

京都御池中学校(善法坊跡)

 


角坊(すみのぼう)

本願寺派では角坊(すみのぼう)をご往生の地としています。
京都市右京区山御堂殿町25

ご往生の地 角坊(すみのぼう)


中央仏教学院
角坊の北隣

中央仏教学院

 

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仏花から聞こえてくる阿弥陀さまの願い

仏花 アルストロメリア

仏花は私たちの方に
向けられています
その訳を考えてみましょう

お供えしたのは
私たちですが

お仏壇の花は阿弥陀さまの
願いを象徴しています

お供えした花から
阿弥陀さまの願いが
私たちに届けられて
聞こえてきます

阿弥陀さまの
願いが聞こえるように

花は私たちの方に
向けられているのでしょう

念仏を称えるものを 
一人も残さず 
分け隔てなく 平等に救い

自他が対立する
怨憎会苦(おんぞうえく)の
世界を離れて
自他のいのちが 
ひとつに融け合い 
ともに輝きあえる
浄土に生まれて往く道を
みんなに歩ませたい  

どのいのちも
大切ないのちなんだよ

その願いが私に届いたときに
お念仏となり
私たちの口から
声となってでてきます

合掌

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ただ念仏のみぞまこと

ヤマシロギク

ヤマシロギクだろうと思います
境内に一輪だけで咲いています
この花のシンプルな美しさが
とても気に入っています
言葉で表現することは
難しいのですが
歎異抄』を連想しています
余分な修飾語を
全部そぎ落としたあとに残る
省略の美とも言うべきものです
一字一涙の書『歎異抄』を読むときは
言の葉を
一枚一枚丁寧に拾い集めます

『現代語訳 意訳』
この世のなかは 
燃え落ちる家のように
移り変わる 世界であり
すべて むなしく いつわりで
真実といえるものは
なにひとつ ありません
そのなかで
ただ念仏だけが 真実なのです
歎異抄
火宅無常の世界は
よろづのこと
みなもつて そらごと たはごと
まこと あることなきに
ただ念仏のみぞ
まことにて おはします
 

 

 

夕日の荘厳(しょうごん)

入り日色はロウソクの炎と同じ色です


秋の日

ある寺院のご法座に
お伺いしたときのこと

夕方4時頃法座も
終わりに近づきました

高台の上
西向きに建つ

本堂の正面から
夕日が本堂内に
差し込んできました

夕日は参拝者を

後ろからつつみ
更に本堂内陣まで届き
本堂内が夕日で
荘厳(しょうごん)されました

大きな赤い蝋燭(ろうそく)が灯る
内陣(ないじん※1)の
荘厳(しょうごん※2)と
外から差し込んだ
入り日が融け合っています

参拝者に話しかけました

内陣(ないじん)の仏花(ぶっか)も
いろんな花が 供えられていますが
どの花も 光り輝いています

おなじように

皆さんもさまざまな
個性をもったまま
みんな 光り輝いていますよ
しばらく光に
つつまれていましょう

・・・・・・・・・・
たまには 無言の法座もあります
・・・・・・・・・・ 

法座が終わった後 境内に出て
家路につく参拝者とともに
沈む夕日を ながめていました

外は闇につつまれようと
していますが

心の内には
人生の闇を照らす
灯火(ともしび)が
確かに灯っています
いつまでも いつまでも

※1内陣(ないじん)  
本堂のご本尊を安置してあるところ
※2荘厳(しょうごん) 
仏壇や寺院の本堂などにおいて
尊前を装飾すること

2022.11.06

倶会一処(くえいっしょ)の世界  

ミゾソバの花 みんな一処(ひとところ)でお互いに輝きあっています


倶会一処(くえいっしょ)は仏説阿弥陀経に説かれている言葉です。「倶会」はともに会う、「一処」はお浄土を意味しており、お浄土で再び会うことができるという意味になります。今、会えているから浄土で再びあうことができるということです。

さらによく味わうととても深い意味になります。 

会うは出遇(であ)うということであり、お互いに敬うべき人たちと出遇(であ)うこと、浄土はともに生まれて往(ゆ)くべき世界ということになります。

今すでに阿弥陀さまの願いに遇った私たちが、真(まこと)の仏弟子として、お互いに敬いあうべき御同朋(おんどうぼう)と本当に出遇(であ)い、ともに往(ゆ)き生まれる世界が、お浄土だと私は味わっています。

阿弥陀さまの願いに遇うことが、本当の人との出遇(であ)いだといえるのではないでしょうか。法然聖人と親鸞聖人のように別れることのない出遇いです。そう味わうと将来だけはなく、現在この場所での救いになります。

お念仏を称えるとき、私たちはすでに時間や場所の隔てを超えて、互敬(ごけい)の関係で出遇(であ)っています。

この私自身も、先だって往生した両親や兄、そして多くの有縁の方たちといま出遇っています。よくよく思案すれば、すべての人に対して倶会一処(くえいっしょ)の世界として開かれているのが浄土なのでしょう。お互いに愛と憎しみを超えて出遇うことができます。

お念仏を称え、お互いに敬いあうことのできる御同朋(おんどうぼう)として、みなさまと共に浄土に往生しましょう。

南無阿弥陀仏

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