ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

前住職(父)を偲ぶ

 

正覚寺第16代住職(前住職・父)
50歳前後のころ 
正覚寺境内石段にて

遺稿『法義のーと』 約45冊のうちのNO 40

前住職の遺稿『宗義のーと』

宗義のーと

前住職(父)は仏書などを読み、聴聞し研鑽(けんさん)したことを『宗義のーと』『宗義覚書』『法義覚書』等と題したに大学ノートに克明に記しています。

ノートは細かい文字で埋め尽くされており、沢山の新聞の切り抜きやメモが貼つてあったり、はさんであったり。

昭和20年代から書き始め、最後は昭和53年にクモ膜下出血で倒れるNO45まで続いています。もちろんすべて手書きです。

書いてある内容は本人にしか分からないことが多いのですが、いま読んでいると、このようなことを考えていたのかと深い感慨をおぼえます。

NO40『宗義のーと』は昭和49年(当時53歳)の時に書き始められたのですが、はさんであった新聞広告の裏にも研鑽(けんさん)の内容が記されていました。

昔、小机の前に正座して、一人で文字を綴っていた前住職(父)の後ろ姿を思いうかべます。ときどき煙草の「しんせい」を飲みながら。

当時はなにも思いませんでしたが、今ではとても懐かしい記憶としてよみがえってきます。

お念仏を称えながら書き記したのでしょう。

遺稿の行間からお念仏の声が聞こえてきます。


『宗義ノート』の抜き書き
本人にしか分からない内容なので、詳細は省きますが部分を抜き書きします。

あつく、はげしく、一途な求道心をもう一度ほり起こして、人生を真面目に考えながら生きていこう。

真宗は古来数えきれぬ程多くの妙好人を生んできた。これからも生んで行くであろう。

人間は悲の器なり。

学問、才能、地位、財産、健康、年齢等々にかかわりなく、すべての人間に共通しているのは、死すべきもの・煩悩を具足(ぐそく)せるもの。
かかる悲の存在に対して真宗の教えがある。

みなさんは胸の底を流れている、自分自身の悲しみの流れが分かる年頃ではないか。

大経下巻に書かれている言葉
自用偃けん謂可常爾無所憂懼常懐驕慢
「教えを聞くこと、学ぶことをしないでいる人々に対して、ぬきさしならぬ憐(あわ)れなる自分自身を憂懼(うく)せよ。」と仰る。
これが聞法・聴聞のまさに出発点である。
※憂懼(うく)とはうれい恐れること。

人はその生涯をかけて 
何を信じ 如何(いか)に生きたか 
何を真のよりどころとし 如何(いか)に生きたか

 

何を信じ 如何(いか)に生きたか

前住職(父)の人生はそのことを生涯をかけて

身を以て示した人生だったと思います。

 

私は当時53歳だった父の年齢をはるかに超えて、

今は浄土に往生した73歳に迫ろうとしています。

 

私もまた同じ道を歩みます。

如何(いか)に生きるべきなのかを自分自身に問いながら・・・。

 

釋淳英 敬白合掌

2023.03.30追記

境内に咲くヒマラヤユキノシタ

 

ヒマラヤユキノシタが咲いてきました。今年は降雪量が多かったためか、春に咲く花の開花が例年より少し遅いように思います。3月29日は父の祥月命日(この世の縁が尽き浄土に生まれた日)です。仏前に花を供え読経をして父の73年間の生涯を偲びました。

父は57歳の時クモ膜下出血で突然倒れました。
右半身不随の身となり言語障害もともない、73歳でこの世のいのちが尽きるまでの約16年間は、家族の介護を受けて自宅療養の生活を送りました。

戦中戦後の困難な時代を生き、苦しみが多く悲しみも深い生涯でしたが、真(まこと)の喜びに(あ)うことのできた人生でもありました。

自らを飾ることなく、不器用で生真面目な生き方をしました。しかし、私には人として本当に大切なことを身をもって伝えてくれました。

今は諸仏となり私たちにお念仏を勧めて「迷いの世に生きる悲しみが、そのまま法に遇(あ)う喜びとなる」そのようなことを浄土から伝えようとしているのだろうと味わっています。

前住職(父)残した言葉「信は人なり」。
信心に生きることが本当の人として生きることなのです(意訳)。               


親鸞聖人を心から敬っていた父の生涯を偲び受けた恩を記します。
釋淳英 敬白合掌

2022.03.29

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