ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

歓喜会(かんぎえ)や心に秘めた悲しさよ

2024.08.15歓喜会(かんぎえ)

 

昨日は歓喜会(かんぎえ)を勤めました。暑い日でしたが本堂の扉を全開したので
風と空と山など周りの自然と一体になった法座となりました。

聴聞
ご講師は法話のなかで帰依処(きえしょ)について「依り処をもつことによって、自分自身が照らし出される」と話されていました。また人間の争いは「善と善」「正義と正義」の争いだとも。

聴聞後記
私は若いときから法務を勤めていますが、ご門徒のなかには悲惨な戦争を体験したり、身内を戦争で亡くした方も多くいました。悲惨な体験を誰にも言うことができず、心の内に秘めたまま生涯を終えた人も、多くいたのではないかと思います。

熱心にお寺にお参りをされたのは、人に話すことのできないような苦悩をかかえながら、心の「依り処」を求めておられたのかもしれません。

「本堂にはお念仏の声が染みこんでいる」。若いときに聞いた言葉です。そのときには何のことかよく分かりませんでしたが、今はなんとなく分かるような気がします。お念仏を称えながら悶々とした心の内を、阿弥陀さまに話していたのでしょう。


時折、本堂に一人で静かに座っていることがあります。そのとき、今までこの本堂でお会いした方々のお念仏の声が確かに聞こえてくるような・・。そしてその方たちが歩んだ人生が少し想像できるような気もしてきます。

8月15日は終戦の日。「正義と正義」の争いはとても愚かなことです。二度と悲惨な戦争をしてはならない。それを伝えていくのも寺院の大切な役割だと思い、ご講師の法話のあと、お参りいただいた門信徒に話しました。

多くの門信徒にお参りいただき本当にうれしいことでした。

歓喜会や心に秘めた悲しさよ 小石


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