ほうわ

み教えに学び自分自身をふりかえります

戦後80年をふり返る

歓喜会当日の様子

2025年8月15日、歓喜会法要と全戦没者追悼法要を勤めましたが、法要前日に準備が整った本堂で一人、戦後80年を振り返りました。

私は昭和50年頃から法務を始めました。昭和50年といえば戦後30年です。当時21歳だったので、若い私には参拝されているご門徒の思いも分かりませんでした。

しかし今ふり返ってみると、身内が戦死した方、自らが被害者となられた方、自らが加害者となられた方、負傷された方、戦地で病気になられた方、食べ物がなく飢えに苦しんだ方など、いろんな思いを胸に秘めてお参りになられていたのだろうと思います。

また戦前・戦中の価値観と戦後の価値観が反転するような状況に、人生観が一変してしまって依り処を見失った方。正義感が崩壊した方。

いろんな人が他人に言えない思いを胸に秘めて、救いを求められずには、いられないような思いで、お寺にお参りになっていたのかもしれない。そのなかには私の両親や親族も含まれています。

寺院や宗教教団も例外ではありませんでした。社会の状況に巻きこまれて軍国主義に積極的に加担するようなこともありました。とても恥ずかしいことです。戦時中の僧侶がどのような布教をしてきたのか、検証しなければならないでしょう。

そんなことを思うと「あなたたちの人生を無駄にはしません」「二度と戦争をすることのない世のなかにしていきます」ということを、伝えていく責任があるように思えてきました。

一人だと思っていた本堂は、お念仏を称えて先に浄土に生まれ、諸仏となられた方々で満堂でした。あちらこちらからお念仏の声が聞こえてきます。私たちも愛憎の分別心で敵と味方が分かれて争うこの世を厭(いと)い、愛憎を超えた怨親平等(おんしんびょうどう)の世界に生まれることを願います。

浄土は生きとし生くるものすべてを、平等に一人子のごとく慈しむ大悲心の世界であると同時に、国籍や民族を超えた無分別平等の救いの世界です。

お念仏の声に、怨親平等の浄土に生まれさせようとする、阿弥陀如来の願いがはたらいています。そしてその願い(信心)に生きることが真実の喜び、すなわち歓喜(かんぎ)となります。これが歓喜会(かんぎえ)の由縁です。

愛憎で自他が対立するこの世に生きることに慚愧(ざんぎ)が生じるときに、一如平等の浄土に生まれることが歓喜(かんぎ)となります。

慚愧と歓喜は同時に生じます。

阿弥陀如来の心は、この世で一人でも苦しむ者があれば、決して見すてることはないという心です。

歓喜会でご講師が紹介された歎異抄の言葉が、心に響きました。この世のことは善悪正邪の価値観を含めてすべてが変化するもので、凡夫の心に絶対に確かだといえるものはなにもありません。真実正しいといえるのはお念仏のみです。

歎異抄
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします

浄土和讃
南無阿弥陀仏をとなふれば
十方無量(じっぽうむりょう)の諸仏(しょぶつ)は
百重千重囲繞(ひゃくじゅうせんじゅういにょう)して
よろこびまもりたまふなり
※囲繞(いにょう):とりかこむこと

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